武田信玄 13〜第一次川中島の合戦〜|軍略

前回は「武田信玄 12〜川中島の土地〜」の話でした。

武田晴信(信玄)(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

甲斐・信濃地方において、極めて重要な土地であった川中島。

なんとしても、
川中島を我が手に!

非常に張り切って、晴信は川中島へ出撃します。

そして、

売られた喧嘩は
買ってやろう!

若き長尾景虎は、晴信に対抗するために川中島へ出撃します。

(歴史群像2004年2月号 学研)

押せ、押せ〜!

老練な武田晴信の戦略に対して、長尾景虎は機動力を駆使して暴れ回ります。

進め〜!

若さ故の長尾景虎のパワーに、武田家は翻弄されてしまいます。

景虎、
やるな!

しかし、飛石伝いに各地を強襲する長尾家でしたが、具体的戦果を上げることは難しい状況でした。

しばらく戦ったが、
難しい・・・

そして、大きな戦果を得ることなく、長尾家は越後へ退却しました。

そして、その間に晴信は着実に勢力圏を広げてゆきました。

この武田家と長尾家の最初の川中島の戦いの結果は、武田家に軍配が上がりました。

ワシの勝ちだ!

それは、「長尾景虎が武田晴信よりも劣っていた」のが理由ではありませんでした。

長く武田の家の内部分裂があり、晴信の父・信虎の時代になんとか武田本家が正式に甲斐国主となりました。

しかし、なんといっても「そもそも甲斐守護」の武田家。

対する長尾家は、関東管領上杉家の有力被官でしたが、代々越後守護代です。

守護と守護代では、大きな家格の違いがありました。

ここが、長尾景虎の率いる長尾家の問題でした。

しかし、家格の意味では織田信長の織田家はさらに下がります。

信長の織田家は、「尾張守護代」の織田家の「三家老の一つ」に過ぎなかったのです。

織田 信長(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

家柄もそれなりに大事だが、
要はパワーだ!

まだ若い景虎は、家中制御に手間取ります。

私の言う事を
なかなか聞いてくれない・・・

そもそも守護代に過ぎない長尾家に対して、他の国人たちは従う姿勢をあまり見せなかったのです。

つまり、長尾軍は意思統一が脆弱な軍隊であり、景虎の天才的軍事能力をもってしても統制が難しかったのです。

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