前回は「柴田勝家 7〜飛武神と情報戦略 1〜」の話でした。

手取川の戦いで上杉謙信に惨敗を喫した、織田家随一の猛将・柴田勝家。

劉邦軍の大将軍・韓信の「背水の陣」によって大勝利したした事実があります。
柴田軍もまた、見事に「背水の陣」でした。
わざわざ付近の和田山上から出撃して、「手取川を背水にしての布陣」でした。
韓信の時と全然違ったことがありました。
迂闊にも柴田軍は「上杉謙信の出撃に気づかなかった」のでした。

あの戦いは、
ワシの生涯の汚点・・・
あまり情報を重視していなかった柴田勝家。
当時の武将の常として、「ある程度の情報を集める」活動はしていました。
しかし、「その道の真髄を極めし者」であった秀吉には遠く及びませんでした。


この当時、「織田家最強の敵」とも言える上杉謙信に対して、信長は



権六よ、
謙信に向かえ!
織田家で「上杉謙信と戦える軍事能力を持つ武将」は柴田勝家しかいませんでした。
織田信長自身を除いては。
軍事的天才であり、戦略的・戦術的能力を考えれば上杉謙信を上回るであろう、信長の軍事能力。



余は、
政治力や戦略的才能が卓抜しているが・・・



実は軍事的才能が
余の力の最大の源泉である!
桶狭間の戦いに限らず、若い頃から前線に自ら出てゆき、合戦を指揮した信長。


川中島の戦いにおいて、「信玄と謙信が一騎討ち」という話がありますが、それは後世の創作です。
実際には、最前線に出ることはほとんどなく、後方指揮に徹していた武田信玄と上杉謙信。


信長と違って「最前線で自ら指揮する」など考えもしなかったでしょう。



私の真骨頂は
全体の軍勢の采配だ!
信長としては、上杉謙信との戦いには自分が出てゆくのが、最も合理的でした。



私自身が、
謙信を叩き潰す自信はある!
しかし、この頃の「織田家の天下がほぼ定まっている状況」とはいえ、信長自身が謙信に敗北するわけにはいきません。
合理的発想では天下一の能力を持つ信長。
しかし、合戦は水物でもあります。



しかし、万一
余が敗北する事態は・・・



天下人たる
余の威信に大きな傷がつく。
そこで、柴田勝家を主軸とする織田家の総力を挙げ、謙信に当たらせました。



権六!



はっ!



お前は、
情報戦略が弱い。



情報・諜報は、
秀吉が得意だから、秀吉も共に向かわせる!



はっ!



くそ!
猿と一緒か・・・



お前たち二人が
仲が悪いのはよく知っている。



仲良く戦えよ!



余のために!



ははっ!
信長の命令により、犬猿の仲である勝家と秀吉は共に、対上杉謙信の戦いに向かったのでした。





柴田殿!



一緒に
頑張りましょう!



ちっ。
権六めと一緒か・・・
二人とも「内心は絶対嫌」ですが、信長の命令です。



信長様の
命令だ・・・



仕方ない・・・
戦う前から不協和音が鳴っている二人でした。