前回は「飛武神・柴田勝家の情報戦略〜猛烈な勢いの柴田軍・日本最強軍団・崩壊した秀吉との二人三脚体制・勝家と秀吉の「情報戦略に対する視点」の根本的違い〜」の話でした。
諜報戦略を軽視した飛武神・柴田勝家:思わぬ「背水の陣」と大敗北
1577年、手取川の戦いで上杉謙信に挑んだ織田家随一の猛将・柴田勝家。
ワシは長年織田の軍事を支えてきた
柴田権六勝家だ!
確かに謙信は
かなり強いが・・・
ワシは、浅井・朝倉や
一行宗門徒たちを叩き潰してきたのだ!
私は
毘沙門天の化身なり!
我が越後の騎馬軍団は
機動力が強力だ!
この時、柴田軍は見事に「背水の陣」でした。
ちょうど
手取川を渡ったか・・・
わざわざ付近の和田山上から出撃して、「手取川を背水にしての布陣」でした。
「背水の陣」
だのう・・・
一定の教養は持っていた柴田勝家でしたが、中国の史書にどこまで通じていたかは不明です。
あの韓信と
同じか・・・
こう気づいたか、気づかなかったか定かではありませんが、筆者は「勝家は知らなかった」と考えます。
劉邦軍の大将軍・韓信は、「背水の陣」によって大勝利したした事実があります。
ところが、韓信の時と全然違ったことがありました。
迂闊にも柴田軍は「上杉謙信の出撃に気づかなかった」のでした。
俺は
ここだぜ!
突撃して、織田軍を
叩き潰せ!
な、
なに!?
その結果、大惨敗を喫した柴田勝家。
あの戦いは、
ワシの生涯の汚点・・・
あまり情報を重視していなかった柴田勝家。
当時の武将の常として、「ある程度の情報を集める」活動はしていました。
ところが、「その道の真髄を極めし者」であった秀吉には遠く及びませんでした。(上記リンク)
軍事の天才・織田信長の「謙信との戦い」の考え
この当時、「織田家最強の敵」とも言える上杉謙信に対して信長は
権六よ、
謙信に向かえ!
織田家で「上杉謙信と戦える軍事能力を持つ武将」は柴田勝家しかいませんでした。
織田信長自身を除いては。
軍事的天才であり、戦略的・戦術的能力を考えれば上杉謙信を上回るであろう、信長の軍事能力。
余は、
政治力や戦略的才能が卓抜しているが・・・
実は軍事的才能が
余の力の最大の源泉である!
桶狭間の戦いに限らず、若い頃から前線に自ら出てゆき、合戦を指揮した信長。
川中島の戦いにおいて「信玄と謙信が一騎討ち」という話がありますが、それは後世の創作です。
実際には、最前線に出ることはほとんどなく、後方指揮に徹していた武田信玄と上杉謙信。
信長と違って「最前線で自ら指揮する」など考えもしなかったでしょう。
私の真骨頂は
全体の軍勢の采配だ!
信長としては、上杉謙信との戦いには自分が出てゆくのが、最も合理的でした。
私自身が、
謙信を叩き潰す自信はある!
ところが、この頃の「織田家の天下がほぼ定まっている状況」とはいえ、信長自身が謙信に敗北するわけにはいきません。
合理的発想では天下一の能力を持つ信長。
しかし、合戦は水物でもあります。
しかし、万一
余が敗北する事態は・・・
天下人たる
余の威信に大きな傷がつく・・・
謙信との戦いには、
権六を向かわせる!
そして、権六には
猿などをつけて、総力を結集する!
そこで、柴田勝家を主軸とする織田家の総力を挙げ、謙信に当たらせました。
諜報の真髄を極めしもの・羽柴秀吉:猿を軽視し続けた権六
ここで、信長は勝家を呼び出して、命令しました。
権六!
はっ!
お前に北陸で
謙信との戦いの総大将を任せる!
ははっ!
お任せを!
だが、お前は、
情報戦略が弱い。
情報・諜報は、
秀吉が得意だから、秀吉も共に向かわせる!
はっ!
くそ!
猿と一緒か・・・
お前たち二人が
仲が悪いのはよく知っている・・・
皆で
仲良く戦えよ!
余のために!
分かったか!
ははっ!
信長の命令により、犬猿の仲である勝家と秀吉は共に、対上杉謙信の戦いに向かったのでした。
ちっ。
権六めと一緒か・・・
しかも、権六の
下か・・・
とにかく
柴田殿!
一緒に
頑張りましょう!
二人とも「内心は絶対嫌」ですが、信長の命令です。
信長様の
命令だ・・・
まあ
仕方ない・・・
戦う前から不協和音がガンガン鳴っている二人でした。
猿なんかと
一緒は嫌なんだが・・・
信長様の命令だ・・・
止むを得ない・・・
名前 | 生年(一部諸説あり) |
柴田勝家 | 1522年 |
滝川一益 | 1525年 |
明智光秀 | 1528年 |
織田信長 | 1534年 |
丹羽長秀 | 1535年 |
羽柴秀吉 | 1537年 |
秀吉の15歳も年上の勝家。
そして、若き頃は信長に反旗を翻したとはいえ、その後は一貫して信長に従い、「織田家最強」を貫きました。
猿は
大嫌いなのだ!
個性が強かった勝家の気持ちはわかりますが、この時、
猿めが、ここまで
のしてきたのは、ただの「おべんちゃら」だけではあるまい・・・
猿のお手並みを拝見して、
ワシも猿の特技を盗むか・・・
こう少しでも考えれば、柴田勝家及び柴田軍の諜報能力は格段に上昇したでしょう。
「諜報の真髄を極めしもの」であった秀吉の諜報の技。
それを、「ほんの少しでも勝家が学んだ」ならば、柴田勝家の命運はさらに開けたでしょう。
そして、後の「賤ヶ岳の戦い」において、軍事力が上だった柴田軍は羽柴軍を倒したかもしれません。
ところが、柴田勝家は、
猿の特技など
どうでも良いわ!
こういう考えでありました。
そして、この時点で「柴田勝家の運命は決まった」と言えるでしょう。
次回は上記リンクです。