大坂城と日本 1〜大坂という場所と街〜|信長・秀吉と大坂

前回は「織田信長の夢の跡:たそがれの安土城址」の話でした。

大阪(大坂)城(新歴史紀行)

今回は安土城址に比べて、多くの人が一度は行ったことがあるかと思われる大阪城です

現代では大と表記しますが、元々は大です。

豊臣 秀吉(Wikipedia)

もちろん、豊臣秀吉が築城したのは大城でした。

そして、徳川家康が豊臣秀頼を滅ぼした際の戦いは、大冬の陣、夏の陣です。

左上から時計回りに木戸孝允、岩倉具視、大久保利通、西郷隆盛(Wikipedia)

明治維新によって新政府が誕生した時、政府にとって最も大きな問題がありました。

「諸外国との外交」と内政面としては、「武士の扱いをどうするか?」です。

「武士の存在を抹消する」方針であった明治政府に、大勢の武士が反発しました。

大坂の坂の字の編は、
武士の士だ。

新たな世となり、武士は
消えてゆくのだから・・・

地名を大坂から
変更しよう。

それは良いが、
「おおさか」という地名は歴史がある。

「呼び方」は
変更しない方が良い。

その際、大坂の坂が「士」編であることを不吉に思ったでしょう。

明治新政府は大を大に変更したのでした。

それ以来、現代では大阪府です。

ここでは歴史に関する内容ですので、大「坂」と表記します。

龍馬がゆく(司馬遼太郎)

小学校の時から歴史が大好きで、歴史の本ばかり読んでいました。

中学生の頃から、司馬遼太郎、海音寺潮五郎、吉川英治、池波正太郎などの本を読んでいました。

中でも「国盗り物語」は一番好きで、暗記するくらい読んだものです。

国盗り物語の秀逸で分かりやすい設定は、織田信長と明智光秀が「斎藤道三の相弟子」であるかのような描写です。

織田 信長と明智 光秀(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

非常に特徴的で印象的な描き方です。

作家 司馬 遼太郎(司馬遼太郎の戦国 朝日新聞出版)

まるで、主従関係にあった信長と光秀を対等に扱うかのような視点は、多くの人が新鮮味を感じることでしょう。

斎藤道三が松波庄九郎時代からどんどん出世して、ついには美濃の国主になった話でした。

最近では「親子二代での所業」ということが定説化していますが、二代でもすごいことです。

京・山城が中心の日本列島(新歴史紀行)

当時、現代の日本とは大きく異なり、「京・山城中心」だった日本列島。

そして、信長は尾張から美濃へと領土を拡大し、「京・山城へは近江を隔てたすぐ先」となります。

戦国大名 織田 信長(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

京は近いぞ!

1568年の織田家勢力図(別冊歴史人 「戦国武将の全国勢力変遷地図」KKベストセラーズ)

そして、そのまま怒涛の勢いで、京へ侵入して広大な領土を得た信長。

その後、浅井長政・朝倉義景との死闘があり、武田信玄に悩まされるも、次々と敵を打倒しました。

そして、「天下が見えてきた」信長は、拠点を京都近くへ移動します。

移動した先が、近江国の安土だったのでした。

安土へ!

安土へ拠点を移動した信長は、当時は

いずれは
大坂へ!

と考えていた、と言われます。

しかし、本能寺の変で信長が横死してしまいます。

後を継いだのが、羽柴秀吉、のちの豊臣秀吉だったのです。

羽柴 秀吉(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

信長様の遺志を継いで、
大坂へ!

「信長の遺志を継いで」かどうかは真実は不明です。

何はともあれ秀吉は大坂の地で、信長の安土城を越える巨大な城を築城しました。

それが大坂城でした。

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

目次