長州藩に帰藩した村田蔵六〜村田カムバックに奔走した桂小五郎・数学や物理のように兵学学んだ蔵六・「兵学」の概念なかった江戸期日本〜|大村益次郎15・人物像・エピソード

前回は「討幕司令官・村田蔵六を「養成した」幕府〜「幕臣強化教室」講武所・村田「大先生」長州出身を発見した久坂玄瑞・鳩居堂に結集した俊英〜」の話でした。

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兵部大輔 大村益次郎(村田蔵六)(国立国会図書館)
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数学や物理のように兵学学んだ蔵六:「兵学」の概念なかった江戸期日本

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宇和島城(新歴史紀行)

幕府が幕臣強化のために作った講武所で、教授手伝となった宇和島藩士・村田蔵六。

村田蔵六

我が蘭学の能力で
どんどん兵書を翻訳する!

1857年に講武所教授手伝(准教授)となり、抜群の蘭学力で、兵書翻訳を進めた村田。

徳川幕府

宇和島藩の村田が、
どんどん兵書を翻訳する・・・

徳川幕府

凄まじいスピードで
西洋兵学が蓄積されてゆく・・・

徳川幕府

これは、幕府にとっては、
大変有り難い・・・

持ち前の蘭学能力と、「やり始めたら止まらない」性格の村田は、猛烈な勢いで翻訳を進めました。

村田蔵六

なるほど、
これは新たな原理だ・・・

当時は、日本の軍事学は、主に武士道のように「定式化された武の道」があるのみでした。

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戦国三大英雄:左上から反時計回りに、織田信長、羽柴(豊臣)秀吉、徳川家康(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研、Wikipedia)

日本の戦国時代は、日本中で合戦が長期間行われ、戦略・戦術が極めて重視されました。

この頃の日本の軍事力は世界有数であり、どの国と戦っても、引け目を取らないレベルでした。

織田信長

この信長の戦略は、
独自の信長流よ!

羽柴秀吉

この秀吉の戦略は、
信長様譲りだが、独自に極めた!

仮に、戦国時代の信長、秀吉らが幕末維新にいて、彼らが軍隊を訓練・指揮していたら。

この「ifの歴史」があれば、ペリーに恫喝しても、戦えたでしょう。

銃や大砲などの武器が、西洋よりも大幅に劣っていた、当時の日本。

信長や秀吉の百戦錬磨の戦略・戦術に、先進武器が加われば、鬼に金棒でした。

徳川家康

元和偃武!
もう戦は終わり!

ところが、信長・秀吉後の家康によって、「軍事先進国」だった日本は冬眠状態になりました。

鎖国によって、外国との情報交換・書籍や文物の交易を原則禁止していた幕府。

幕末の頃には、日本には「兵学」という考え方自体が存在しませんでした。

ここで、兵学を数学や物理のように学んでいた蔵六の存在は、大きな光を放ち始めました。

長州藩に帰藩した村田蔵六:村田カムバックに奔走した桂小五郎

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長州藩士 久坂玄瑞(義助)(国立国会図書館)

この頃の村田蔵六の、幕末日本における立場は、兵学において「最先端の人物」でした。

幕末には、幕府・各藩から様々な優れた人物が星のように多数登場しました。

勝海舟も若き頃は優れた学者であり、佐久間象山、藤田東湖、橋本左内ら多数の優れた学者がいました。

この視点から見れば、村田蔵六の存在は「極めて優れた学者の一人」でした。

ところが、理数系の発想に極めて優れ、蘭学力も随一であった村田は、

村田蔵六

この兵学の原理を
応用して考えることが出来るな・・・

村田蔵六

ふむぅ〜・・・この新たな兵学の
原理は、この原理と組み合わせられないか・・・

理数的発想で、兵学を学び、数学や物理のように思考することで「村田流兵学」となってゆきました。

ここで、鳩居堂に学ぶ俊英の一人、久坂玄瑞は、村田蔵六が「長州出身者」であることに気づきました。

久坂玄瑞

なんとしても
村田先生に長州に戻ってきて欲しい・・・

久坂玄瑞

桂さん、村田殿には
ぜひ長州に戻って頂くべきです!

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長州藩士 桂小五郎(木戸孝允)(国立国会図書館)
桂小五郎

うむ・・・
それが良いな・・・

この頃、長州藩の若手の取りまとめ役となっていた桂小五郎に相談した久坂。

桂小五郎は、後の木戸孝允です。

名前生年所属
大村 益次郎1825宇和島(長州)
木戸 孝允1833長州
前原 一誠1834長州
高杉 晋作1839長州
久坂 玄瑞1840長州
伊藤 博文1841長州
大村益次郎を取り巻く幕末維新の志士たちの生年
桂小五郎

私も村田殿の
名声は聞いている・・・

桂小五郎

ここは、是非とも
村田殿には長州藩に帰藩して頂き・・・

桂小五郎

我が長州藩の軍事の柱に
なって頂こう・・・

こうして、桂小五郎が動き、長州藩は「村田蔵六の召喚」を決定しました。

桂小五郎

よし・・・
それでは、私が幕府や宇和島藩と折衝しよう・・・

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宇和島藩第八代藩主 伊達宗城(Wikipedia)
伊達宗城

なに?長州藩が
村田殿を「返せ」と?

伊達宗城

長州藩の気持ちは分かるが、
村田殿には、幕府や宇和島藩に役立って欲しい・・・

確かに、「元は長州藩士」でしたが、「長州藩が放っておいた」村田蔵六。

その村田を見出して、長崎や江戸に出して、村田の存在を「磨き上げた」のは伊達宗城でした。

自分が大事に育てた人物を「横取り」される気持ちになった伊達宗城は、

伊達宗城

長州ほどの大藩ならば、
色々な人物がいよう・・・

伊達宗城

しかも、幕府の正式な洋学機関
である講武所の教授手伝だ・・・

伊達宗城

ここは、長州には
諦めて欲しいが・・・

当然のことながら、「長州の村田蔵六召喚」を突っぱねた伊達宗城。

桂小五郎

なんとか、村田殿には
ぜひ、長州へ・・・

ここで、幕末維新期に不思議な政治力を有していた桂は、八方画策しました。

ところが、幕府も宇和島藩も「超一流」を超えて「随一」の村田を手放すはずがありませんでした。

村田蔵六

私の長州藩帰藩の
話だと?

村田蔵六

まあ、私は長州に
戻っても良いのだが・・・

幕府・宇和島藩vs長州藩の「村田の取り合い」は、しばらく続き、2年ほど経過しました。

そして、1860年4月、36歳となった村田蔵六は正式に長州藩の藩士に戻ったのでした。

村田蔵六

再び
長州藩士か・・・

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