前回は「織田信長 10〜覇王の戦略 3〜」の話でした。

1567年、美濃を制圧して100万石以上の領土を獲得した信長。
非常に強い勢力の一つとなります。
その信長のもとに、足利義昭からの使者=明智光秀が来ます。


織田殿。



ぜひ、義秋様を庇護して、
上京して頂きたい。



ふむ。



しかし、足利殿は今、
朝倉のところにいるではないか。
当時、将軍となる可能性のある足利義秋(義昭)は、越前・朝倉家に身を寄せていました。


実は、朝倉家と織田家は「縁が深い」関係です。
同じ守護・斯波氏を補佐する仲でした。
そして、守護・斯波氏を補佐する実力者である、「守護代」だったのです。
しかし、信長の織田家は、朝倉家より「格下」だったのでした。



織田と同じ家柄?



おい、我が朝倉家の方が断然上だ!



信長の織田家は、
守護代・織田を補佐する家柄。
信長の出身の織田家は、守護代である織田家を補佐する「三奉行」の一人に過ぎなかったのです。
そこで、力を蓄えた信長の父・信秀でした。
越前で50万石ほどを持つ朝倉家もまた、当時侮れない勢力でした。



信長など、ただの出来星大名!





確かに、今、義秋様は
朝倉家におります。



しかし、朝倉義景殿は、
全く京都へ兵を進める気がありません。



これは良い大義名分ができそうだ!
この時、信長は上杉謙信が「関東管領の威光」で猛烈なパワーを得たのを知っていたでしょう。



ならばワシがやろう!
信長は義秋(義昭)を奉じて、上京する決断をします。