織田信長 11〜覇王の戦略 4〜|戦国武将

前回は「織田信長 10〜覇王の戦略 3〜」の話でした。

織田 信長(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

1567年、美濃を制圧して100万石以上の領土を獲得した信長。

非常に強い勢力の一つとなります。

その信長のもとに、足利義昭からの使者=明智光秀が来ます。

明智 光秀(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

織田殿。

ぜひ、義秋様を庇護して、
上京して頂きたい。

ふむ。

しかし、足利殿は今、
朝倉のところにいるではないか。

当時、将軍となる可能性のある足利義秋(義昭)は、越前・朝倉家に身を寄せていました。

朝倉 義景(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

実は、朝倉家と織田家は「縁が深い」関係です。

同じ守護・斯波氏を補佐する仲でした。

そして、守護・斯波氏を補佐する実力者である、「守護代」だったのです。

しかし、信長の織田家は、朝倉家より「格下」だったのでした。

織田と同じ家柄?

おい、我が朝倉家の方が断然上だ!

信長の織田家は、
守護代・織田を補佐する家柄。

信長の出身の織田家は、守護代である織田家を補佐する「三奉行」の一人に過ぎなかったのです。

そこで、力を蓄えた信長の父・信秀でした。

越前で50万石ほどを持つ朝倉家もまた、当時侮れない勢力でした。

信長など、ただの出来星大名!

1567年の織田家勢力図(別冊歴史人 「戦国武将の全国勢力変遷地図」KKベストセラーズ)

確かに、今、義秋様は
朝倉家におります。

しかし、朝倉義景殿は、
全く京都へ兵を進める気がありません。

これは良い大義名分ができそうだ!

この時、信長は上杉謙信が「関東管領の威光」で猛烈なパワーを得たのを知っていたでしょう。

ならばワシがやろう!

信長は義秋(義昭)を奉じて、上京する決断をします。

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