織田信長 5〜覇王の考えた未来 1〜|戦国武将

前回は「織田信長 4〜中世をピリオドを打った男 〜」信長の話でした。

織田信長(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

「中世を抹殺した帝王」はどのような立場で、その仕事を仕上げて海外に雄飛してゆくのか。

そこで「三職推任」問題となります。

当時「正親町天皇に退位を迫っていた」とか「圧力をかけていた」という説もあります。

日本の帝王は私なのだ。
朝廷は、日本国内に対してのみ、官位授与等の権限を持つ。

しかし、対外国に対しては、朝廷も天皇も関係ない!
私が、この国の主なのだ!

信長としては、こう考えていたでしょう。

征夷大将軍にしても関白にしても、「朝廷から任命される」のは「朝廷より下と海外に誤解されるのでは」と懸念していたのでないでしょうか。

信長が「朝廷をなくす」「天皇制を廃止する」ことを考えていたという説もあります。

今後、対外国との関係が活発になると、
天皇も朝廷も邪魔だ。

今の私には、天皇・朝廷を消す武力はある。

しかし、それを実行したら、
家臣団どもも同様し、民衆も統治できまい。

そういう荒っぽいことをすると、国内の収まりがつきにくくなるので、信長は「現実的ではない」と考えていたと思います。

信長は非常に合理的なリアリストですから、無駄なことは避けるはずです。

むしろ、既存の朝廷任命の職には興味がなく、自分で「覇王」なり「帝王」を想起させる「新たに創り出した地位」を名乗るつもりだったのではないでしょう。

まずは、征夷大将軍か関白に
なってやってもよい。

その過程で、一時的に征夷大将軍等の地位に「なっても良い」くらいに思っていたように思います。

信長が平氏を名乗っていたので、「源氏の征夷大将軍にはなれない」という説もあります。

「源氏か平氏か」など、もはやどうでも良いわ!

1582年の織田家勢力図(別冊歴史人 「戦国武将の全国勢力変遷地図」KKベストセラーズ)

対外関係を念頭に、朝廷との関係などに思考を集中していて、軍事面は「家臣に任せていた」のでしょう。

光秀や柴田勝家、滝川一益は信長よりも年上であり、信長は一定の配慮をしていました。

柴田勝家(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

歴代からの家臣の勝家も一度は信長に反旗を翻したものの、許した経緯があります。

彼らを家臣として取り立て、自ら先頭にたち戦略と戦術を教え込んで「育て上げた」気持ちだった信長。

光秀の年齢は諸説ありますが、信長よりも6歳ほどは年上でした。

明智光秀(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

「生まれながらの大名」であった信長は、そういう光秀や一益の才能を愛していました。

相手が年上であっても、自ら育て上げた親のような気持ちだったのでしょう。

滝川一益(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

若い頃からずっと悩まされ続けた武田家を叩き潰した信長。

もう私が指図する
必要はないわ!

「あとは問題ない」と自分の「弟子たち」が自動的に天下を統一してくれる状況。

羽柴秀吉(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

信長は、対外的立場の構築・中世抹殺の総仕上げに全精力を注ぎ込んでいました。

その最中の「まさか!」の本能寺の変ででした。

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