前回は「中世にピリオドを打った男・織田信長〜京を目指す心意気・本拠地移転・清洲から小牧山へ・天下布武の意味・叡山焼き討ち・旧勢力との死闘・中世の世に激震を走らせた信長と織田家臣団〜」の話でした。
中世抹殺を試みる帝王の視線:比叡山・延暦寺焼き討ち
叡山は
許せん!
叡山に
鉄槌を下してやりたい!
ここまでは、織田信長の立場であれば、大抵の戦国大名が考えます。
ところが、現実的に「叡山に鉄槌を下す」ことは「極めて難しい」のが現実でした。
平家物語において、白河法皇が、
鴨川の水、双六の賽、
山法師・・・
これぞ
我が心に叶わぬもの・・・
法皇ですら、このように嘆いた仏教勢力。
信長の頃よりも、はるかに天皇家・朝廷の力が強大だった白河法皇の時代。
その「絶大な朝廷の力」を持ってしても、「どうにもならない」ほど強力な仏教勢力。
「真言宗の空海」を除く、ほぼすべての仏教の総本山が比叡山でした。
つまり、比叡山といえば「鉄槌を下す」側の存在であり、
我らに鉄槌を
下すなど、笑止千万!
比叡山延暦寺は「冗談ではないわ」と思ったでしょう。
比叡山延暦寺を訪問した話を、上記リンクでご紹介しています。
比叡山に
鉄槌を下す?
何を
言っているんだ?
守護・守護代出身の家柄であり、「中世」に縛られていた武田信玄・上杉謙信たち。
あるいは、北条氏康・毛利元就たちにとっても、「比叡山は別格」でした。
ところが、「中世抹殺を試みる帝王」であった織田信長。
延暦寺が
私にしたがぬならば、叩き潰すまで!
叡山・延暦寺を
焼き払ってしまえ!
坊主どもも
皆殺しだ!
「脅迫」ではなく、「本当に叡山に鉄槌を下した」のでした。
この事実を知った武田信玄。
比叡山に火を
放っただと・・・・・
な、
なんということ・・・
「中世抹殺を試みる帝王」である信長は、「中世抹殺を実行する帝王」へと飛躍しました。
正親町天皇と覇王・信長:朝廷の権威
はどのような立場で、その仕事を仕上げて海外に雄飛してゆくのか。
そこで「三職推任」問題となります。
当時「正親町天皇に退位を迫っていた」とか「圧力をかけていた」という説もあります。
日本の帝王は
私なのだ!
朝廷は存続しても構わないが、
日本国内に対してのみ、官位授与等の権限を持つのだ!
対外国に対しては、朝廷も天皇も関係ない!
私が、この国の主なのだ!
信長としては、こう考えていたでしょう。
征夷大将軍にしても関白にしても、「朝廷から任命される」ので、
余が「朝廷より下」と
海外の国・勢力から誤解されるのでは?
と懸念していたでしょう。
信長が「朝廷をなくす」「天皇制を廃止する」ことを考えていたという説もあります。
今後、対外国との関係が活発になると、
天皇も朝廷も邪魔だ・・・
今の私には、
天皇・朝廷を消す武力はあるが・・・
それを実行したら、
家臣団どもも同様し、民衆も統治できまい・・・
そういう荒っぽいことをすると、国内の収まりがつきにくくなります。
どう考えてもマイナスの方が多いため、信長は「現実的ではない」と考えていたと思います。
信長は非常に合理的なリアリストですから、無駄なことは避けるはずです。
むしろ、既存の朝廷任命の職には興味がなかったであろう信長。
自分で「覇王」なり「帝王」を想起させる「新たに創り出した地位」を名乗るつもりだったでしょう。
まずは、征夷大将軍か関白に
なってやってもよい。
その過程で、
まずは、武家の頂点である
征夷大将軍か・・・
一時的に征夷大将軍の地位に「なってやっても良い」くらいに思っていたでしょう。
信長が平氏を名乗っていたので、「源氏の征夷大将軍にはなれない」という説もあります。
「源氏か平氏か」など、
もはやどうでも良いわ!
もはや、源平藤橘など「どうでも良かった」覇王信長。
覇王の考える「超越的地位」:織田四天王・方面軍司令官の活躍
対外関係を念頭に、朝廷との関係などに思考を集中していて、軍事面は「家臣に任せていた」のでしょう。
光秀や柴田勝家、滝川一益は信長よりも年上であり、信長は一定の配慮をしていました。
歴代からの家臣の勝家も一度は信長に反旗を翻したものの、許した経緯があります。
彼らを家臣として取り立て、自ら先頭にたち戦略と戦術を教え込んで「育て上げた」気持ちだった信長。
光秀の年齢は諸説ありますが、信長よりも6歳ほどは年上でした。
名前 | 生年(一部諸説あり) |
柴田勝家 | 1522年 |
滝川一益 | 1525年 |
明智光秀 | 1528年 |
織田信長 | 1534年 |
丹羽長秀 | 1535年 |
羽柴秀吉 | 1537年 |
「生まれながらの大名」であった信長は、そういう光秀や一益の才能を愛していたでしょう。
そして、相手が年上であっても、
余が柴田、滝川に加え、
キンカン頭(明智)と猿(羽柴)を育てたのだ!
自ら育て上げた親のような気持ちだったのでしょう。
若い頃から、ずっと悩まされ続けた武田家を叩き潰した信長。
もう私が指図する
必要はないわ!
「あとは問題ない」と、自分の「弟子たち」が自動的に天下を統一してくれる状況です。
信長は、対外的立場の構築・中世抹殺の総仕上げに、全精力を注ぎ込んでいました。
もはや、六十余州の
我が国を従えるのは、やつらに任せておけば十分!
まあ、あとせいぜい2年ほどで
全国統一だろう・・・
そして、源頼朝・平清盛・足利尊氏たちの「先例」とは異なる「超越的立場」を望んでいた信長。
天皇は残しても
良い・・・
余に相応しい地位とは、
なんだろうか・・・
そして、その「超越的立場」に相応しい
「超越的称号」とはなにか?
それは、征夷大将軍でも関白でも
太政大臣でもない、新たな称号だ!
中世を終わらせて「新たな世をつくる」強い気持ちを持っていた信長にとって、「新たな称号」が必要です。
まずは、征夷大将軍に就任して、
関白・太政大臣を兼ねるか・・・
その最中の「超まさか!」が本能寺の変だったのでした。
次回は上記リンクです。