日本の帝王から海外へ雄飛する信長〜無官の信長・三職推任問題・征夷大将軍か関白か太政大臣か・信長に相応しい官職・独自の官職を模索・「信長の弟子」たちが四方で活躍・各方面軍団長たち〜|織田信長6・人物像・政治能力・エピソード

前回は「中世抹殺を試みる帝王の視線〜比叡山・延暦寺焼き討ち・正親町天皇と覇王・信長・朝廷の権威・覇王の考える「超越的地位」・織田四天王・方面軍司令官の活躍〜」の話でした。

織田 信長(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)
目次

日本の帝王から海外へ雄飛:無官の信長

安土城図(歴史人2016年12月号KKベストセラーズ)

「中世を抹殺した帝王」は、どのような立場で、その仕事を仕上げて海外に雄飛してゆくのか。

すでに信長の視線は、国内から海外に向かっていました。

国内の制覇は、猿(秀吉)や
キンカン頭(光秀)、権六(柴田)たちに任せておけば良い・・・

問題は、余が
どのような立場になるのか、だ・・・

一度は「幕府を開く」征夷大将軍と同等、あるいはそれ以上に重視されてきた右近衛大将に任官した信長。

さらに官位が進んで、右大臣にまで昇ったものの、1578年には、

右大臣を
辞任します!

と突然、右大臣を辞任して「無官」となった信長。

正親町天皇(Wikipedia)

・・・・・

正二位という殿上人としての地位は保持しながらも、「無官」の信長。

これは、正親町天皇や朝廷にとっては、

信長は一体
何を考えているのだ?

非常に不気味に感じられたことでしょう。

三職推任問題:征夷大将軍か関白か太政大臣か

そこで「三職推任」問題となります。

もはや、信長は天下(畿内)を
手中におさめている・・・

そして、我が国全体を
支配するだろう・・・

当時「正親町天皇に退位を迫っていた」とか「圧力をかけていた」という説もあります。

ならば、信長に
きっちりとした官位についてもらわなければ・・・

我が
朝廷の立場がない・・・

おそらく、信長は「朝廷を破壊する」考えはなかったでしょう。

日本の帝王は、
余なのだ。

天皇・朝廷は、
対外的には関係ない。

信長としては、対外関係を考えるとき、このように感じていたのでしょう。

1580年の織田家勢力図(別冊歴史人 「戦国武将の全国勢力変遷地図」KKベストセラーズ)

凋落の兆しが強かった武田氏でしたが、信長は武田軍団に対しては、万全の体制を取ります。

武田の底力は、余が最も
知っているのだ!

武田家に属する木曽、穴山などの非常に強い国衆に調略を仕掛けます。

武田 勝頼(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

さらに、正親町天皇を動かして、武田家を朝敵として、追い込みます。

これで、
万全だろう。

1582年の織田家勢力図(別冊歴史人 「戦国武将の全国勢力変遷地図」KKベストセラーズ)

1580年からの2年間で、東に大きく広がった織田家。

中心の豊穣な土地を有していている織田家にとっては、経済力が低い地域です。

石高にして120〜130万石アップし、領土は600万石近くとなった織田家。

信長に相応しい官職:独自の官職を模索

征夷大将軍が
良いのか・・・

武家とはちょっと違うが、
関白か・・・

余に相応しい
官職とは何か?

征夷大将軍にしても関白にしても、「朝廷から任命される」のです。

「朝廷より下」と
海外に誤解されるのでは?

信長は、朝廷との上下関係を強く懸念していました。

信長が「朝廷をなくす」「天皇制を廃止する」ことを考えていたという説もあります。

そういう荒っぽいことをすると、国内の収まりがつきにくくなります。

南蛮などとの関係は
重要だが・・・

国内が治まらなければ、
意味がないわ!

信長は、「天皇制・朝廷の廃止」は「現実的ではない」と考えていたでしょう。

非常に合理的な、リアリストだった信長。

特にその傾向は、後半に強く現れます。

無駄なことは、避けるはずの信長。

余は、これまでの
我が国にいない人物!

むしろ、既存の朝廷任命の職には興味がなかったでしょう。

自分で「覇王」なり「帝王」を想起させる「新たに創り出した地位」を名乗るつもりだったのではないでしょうか。

余のために、
新たな地位・役職を作りたい。

その過程は、様々な調整が必要かもしれません。

そして、時間がかかるかもしれません。

一時的に征夷大将軍か、
関白になってやってもよい。


信長が平氏を名乗っていたので、「源氏の征夷大将軍にはなれない」という説もあります。

「源氏か平氏か」
など・・・

もはや、
どうでも良いわ!

「信長の弟子」たちが四方で活躍:各方面軍団長たち

織田四天王

対外関係を念頭に、朝廷との関係などに思考を集中していて、軍事面は「家臣に任せていた」信長。

光秀や滝川一益は、信長よりも年上でした。

信長からすれば家臣として取り立て、自ら先頭にたって戦略と戦術を教え込んで「育て上げた」気持ちだったでしょう。

光秀の年齢は諸説ありますが、信長よりも6歳ほどは年上でした。

「生まれながらの大名」であった信長は、そういう光秀や一益の才能を愛しました。

キンカン頭、権六、猿、
一益、五郎左(丹羽)が居れば・・・

余の出る幕は
ないわ。

そして、自ら育て上げた親のような気持ちだったのでしょう。

若い頃から、ずっと悩まされ続けた武田家を叩き潰した信長。

後は問題
ないわ!

「あとは問題ない」と自分の「弟子たち」が自動的に天下を統一してくれる状況です。

朝廷との折衝は、
朝山日乗だが。

幕府との関係もあるし、
キンカン頭に任せよう。

ははっ!
お任せを!

猿、権六、一益、
五郎左(丹羽)は、幕府や朝廷のことは分からぬ。

奴らは、
前線で敵を撃破する役目だ。

その中、信長は自らの立場と、「中世抹殺の総仕上げ」に全精力を注ぎ込んでいました。

新歴史紀行

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