前回は「遅すぎた近衛首相の「松岡更迭」の決断〜「外交白紙委任状」如き活動・海軍に「外交任せた」近衛首相・政府に「クギ刺した」陸海軍統帥部〜」の話でした。
「野村-豊田」海軍優等生ラインに米交渉託した近衛首相

近衛文麿第二次近衛内閣は
総辞職します!



総辞職なので、全員の大臣は
一度やめてもらいます!



もちろん、松岡外相も
外相ではなくなります!
7月16日夜、近衛首相は「松岡外相を切る」ためだけに、第二次近衛内閣は総辞職を行いました。



!!!!!
この松岡がクビ、だと・・・
過去から現在に至るまで、様々な形式の内閣総辞職があります。
戦後は、多くの場合で、「責任を取らざるを得ない」形の内閣総辞職がほとんどです。
戦前は、陸軍が「陸相を出さない」ために「内閣が構成できない」総辞職も多発しました。
それに対して、明らかに「政変」であった、近衛首相の「松岡切り総辞職」は極めて異例でした。
「真珠湾」まで、あと5ヶ月を切った時点での、大政変。





海軍大将の私が
外務大臣になりましょう!
| 海軍兵学校卒業期 | 名前 | 役職 |
| 26 | 野村 吉三郎 | 米大使 |
| 28 | 永野 修身 | 軍令部総長 |
| 31 | 及川 古志郎 | 海軍大臣 |
| 32 | 山本 五十六 | 連合艦隊司令長官 |
| 33 | 豊田 貞次郎 | 外務大臣 |
「外交素人」の豊田貞次郎海軍大将が新たに外務大臣になり、



なんとか、野村大使と
豊田外相のラインで、米国と協調を・・・
「野村大使ー豊田外相」の「海軍ライン」で、米国との交渉妥結を目論んだ近衛首相。
豊田貞次郎外相は、海兵33期を首席で卒業した超優等生でした。


そして、野村吉三郎米大使は、海兵26期を次席卒業しています。
野村、豊田共に、軍人らしからぬ穏やかな表情の人物であったことも「近衛好み」でした。
いわば、「野村-豊田」海軍優等生ラインに、将来を託した近衛首相。



陸海軍統帥部長は、政府に対し、
次の如き要望を開示した。
一、目下進行中の対仏印軍事的措置に関しては、統帥部として規定通り的確に(内容及び期日共に)之を実行するを要するに付き、政府の諸施策も緊密に之に同調せしめられ度
二、既に発足進行中の対南方及び北方せんびに関しては、之が渋滞遅延を許さず
三、三国枢軸精神に背馳せざる如く其の策に遺憾なきを期せられ度
その一方で、大本営は、「米国が強硬姿勢を見せていた」中、仏印政策を進めていました。
帝国政府「ヴィシー政府圧力」を拒絶したヒトラー:仏印進駐成功


そして、この頃、ヒトラー率いるドイツ軍に圧倒され、降伏していたフランス。
フランスは、ヴィシー政権がフランス南部に残存していましたが、勢力は大幅に減じていました。





仏国に対する交渉は、
七月十四日より加藤駐仏大使をして・・・



直接ヴィシー政府に対し
行われた。



ドイツに一応斡旋方を依頼したが、
ドイツとしてはヴィシー政府に対し・・・



圧力を加えかねる旨、
拒絶の回答が来ていた。





今は、ヴィシー政府に
無用な圧力をかける余地はない・・・



そもそも、Sovietを
叩き潰すことに集中したいのだ・・・
同盟国である大日本帝国の「ちょっと圧力かける」ことすら、拒絶したヒトラー。



政変により七月十八日
新たに外相に就任した豊田貞次郎海軍大将は・・・



翌十九日、加藤大使に対し、ヴィシー政府の
回答は、七月二十三日午後十二時を期限として・・・



要求すべき旨の訓電を
発した。
外相になりたてで、やる気満々だった、豊田外相は、



七月二十三日午後十二時までに
回答させろ!
強気で、ヴィシー政府に迫るように支持しました。



七月二十一日、仏印は下記条件の下に、
日本の要求を応諾し・・・



ここに仏印の共同防衛に関する
日仏諒解が成立した。
一、仏国の領土及び主権の尊重を遵守すること
二、攻撃的攻守同盟にあらざること
三、第一項の趣旨を日本政府に於て特に声明すること。右は現地仏印の無抵抗を命ずる為にも必要なること
四、駐屯の必要解消せば撤退せられ度いこと



この諒解は七月二十九日、仏印の共同防衛に関する
議定書として正式調印を見るに至った。
この「日仏諒解」の「四、駐屯の必要解消せば撤退せられ度いこと」は、曖昧です。
何を持って「駐屯の必要解消か」は、いかようにも解釈しえます。
この点からも、「大日本帝国次第」であることを、フランスは認めざるを得なかったことが分かります。
この、大日本帝国による「あからさまな領土拡張」を、極めて冷ややかに見ていた人物がいました。





おのれ、
Japanめが・・・・・
その人物とは、米国のルーズベルト大統領でした。

