前回は「「かつての弟分」の連合艦隊をみくびっていたフィリップス提督〜世界を股にかけた空前の超大帝国だった大英帝国・ハルノートに対する日本陸海軍大幹部の視線〜」の話でした。
海軍航空隊のエキスパート・松永貞市司令官率いる雷撃隊出動
英国海軍のフィリップス提督が、日本海軍が展開していたマレーに向かいました。
そして、日本海軍航空隊(第二十二航空戦隊)を率いる指揮官は、松永貞市少将でした。
海軍兵学校41期卒業の松永は、草鹿龍之介連合艦隊参謀長と同期です。
海軍兵学校卒業期 | 名前 | 専門 | 役職 |
32 | 山本 五十六 | 航空 | 連合艦隊司令長官 |
36 | 南雲 忠一 | 水雷 | 第一航空艦隊司令長官 |
40 | 宇垣 纏 | 大砲 | 連合艦隊参謀長 |
40 | 山口 多聞 | 航空 | 第二航空戦隊司令官 |
41 | 草鹿 龍之介 | 航空 | 第一航空艦隊参謀長 |
41 | 松永 貞市 | 航空 | 第22航空戦隊司令官 |
「花の40期」が有名な日本海軍の幹部たち。
優秀で個性的すぎる40期に比べると、他の期はどうしても地味になる傾向はあります。
私は一高も合格していたし、
頭脳には自信があるのだ!
若い頃から「優秀であること」に強い自信を持っていた草鹿。
私は海兵を
8位で卒業しました・・・
草鹿に対して、少し地味な顔立ちの松永司令官。
松永は、41期を8位で卒業した優等生でした。
草鹿は14位卒業でした。
海軍航空隊の
要になるのだ!
風貌の通り、非常に着実な性格であった松永司令官。
海兵41期の卒業成績では、草鹿を上回っていた松永。
私が航空隊の
エキスパートとなって、海軍を引っ張るのだ!
やる気満々で、大英帝国の東洋艦隊を待ち受けていました。
元山航空隊、美幌航空隊、
鹿屋航空隊の三つの航空隊を指揮する!
そろそろ、我が南遣艦隊も
出動だ!
そして、真珠湾奇襲攻撃の前日の1941年12月7日に、小沢長官率いる南遣艦隊も出動となりました。
戦艦も空母もない南遣艦隊に対して、最新鋭の戦艦 Prince of Walesを筆頭とする東洋艦隊。
海軍の戦力としては、どう考えても南遣艦隊が見劣りがする状況でした。
雷撃隊の威力に夢を見た三和義勇作戦参謀:動く戦艦と航空隊
この「どう考えても劣勢」の中、
山本長官!
Prince of Walesに対して、重巡では分が悪すぎます!
ここは、戦艦長門か陸奥を
マレーに派遣すべきです!
という幕僚たちの声に対して、
いや・・・
戦艦長門も陸奥もマレーには不要だ・・・
松永率いる航空隊は、
敵を叩くだろう・・・
と「戦艦増派」を却下した山本長官。
我が連合艦隊の
航空隊の威力を見せつけよ!
特に雷撃機には、
大いに期待している!
この中、12月8日に「真珠湾奇襲攻撃に大成功」した連合艦隊。
真珠湾奇襲攻撃に関する話は、上記リンクでご紹介しています。
実際には、外務省の大失態により「宣戦布告前の奇襲攻撃」となってしまった真珠湾奇襲攻撃。
戦略的には大失敗でしたが、米海軍に痛恨の打撃を与えたのは事実で、戦術的には大成功でした。
この中、
確かに、我が連合艦隊の
雷撃隊が、敵艦を沈められたな!
おうよ!
この調子なら、Prince of Walesも潰せるか?
だが、真珠湾では
戦艦たちが「止まっていた」から良かったが・・・
動いている戦艦に
魚雷を当てることは、難しいだろう・・・
確かにな・・・
Repulseならば、ある程度打撃を与えられるかもな・・・
このなか、山本長官もまた、
我が航空隊の
雷撃は、かなり強力だ・・・
まあ、Repulseならば、
撃沈できるのではないか・・・
かなりの楽観論を披露した山本長官。
そして、ここに一人の若き作戦参謀が虚空を睨んでいました。
その人物は、山本長官お気に入りの三和義勇 作戦参謀。
確かに、動く戦艦に
魚雷を当てる技量は、まだ発展途上だ・・・
だが、だがだ・・・
我が航空隊の技量ならば、大きな成果を上げるはず。
雷撃隊の威力に「夢を見た」三和義勇作戦参謀でした。
次回は上記リンクです。