中世保持を目論んだ「中世の伝道者」上杉謙信〜軍神の肖像・越後の龍が越後統一へ・越後守護代から関東管領へ・打倒北条・領土を一気に拡大した景虎・権威x軍事力〜|上杉謙信1・出身・出自・性格

前回は「中世再興を目論んだ「中世の権化」武田信玄〜異常に強力に描かれる武田四天王・最強武将のイメージの真田昌幸と真田幸村・信玄の理念と中世〜」の話でした。

上杉謙信(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)
目次

軍神の肖像:越後の龍が越後統一へ

新歴史紀行
第四次川中島の戦い(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

今回は、上杉謙信(長尾景虎)です。

「信玄と謙信」というと「川中島の戦い」の話になります。

神がかった「軍神」上杉謙信。

「信長の野望」(コーエーテクモ)でも「天下統一」(システムソフト)でも「戦闘能力1位」は不動。

単なる数字的な1位だけではなく「異常な戦闘的強さ」を持つ武将としてゲームでは描かれています。

「上杉謙信が突撃すれば終わり」という雰囲気すらあります。

武田晴信(信玄)(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

上杉謙信と武田信玄は、「戦の神様」と考えられ「武の双璧」と言われる存在になっています。

「信長の野望」では、戦闘力・武力・采配等で非常に強力です。

「天下統一」では、軍事力のみならず、攻城戦などの知謀が高く評価されています。

この上杉謙信の軍神像は、多分にイメージの要素が強い面もあります。

「戦上手」というと「軍勢を率いて突進して、相手を突き破る」能力が、まず第一です。

そして、竹中半兵衛など、軍師として「采配を振るい、軍勢を動かして将棋のように相手を破る」能力もあります。

前者のイメージが強い謙信。

川中島の戦いで見せたように「采配的能力」も、尋常極まりない抜群の武将と考えられています。

そして、総合的に「戦国最強」となります。

越後守護代の長尾家に生まれた長尾景虎(上杉謙信)。

長尾家は
越後守護代の家柄だ・・・

武田家の「甲斐守護」よりは、家格は劣るものの「守護代」であった長尾家。

この点において、後に天下人となる織田信長、羽柴(豊臣)秀吉、徳川家康よりもはるかに家柄が良いです。

景虎が家督を継いだ頃は、一族の内紛や越後北部の揚北衆が背き、内乱状態でした。

反乱を
起こす連中が多すぎる・・・

様々な国の中でも南北に長い越後国。

他の国々は概ね、四角に近い形状をしていますが、非常に細長い形状をしています。

そして、長尾家の長年の拠点である春日山城が「越後の端」に位置します。

このため、「国としてのまとまり」が少なく、北方の国衆は独立心が強い武将が多かったのです。

なんとか、
まとめたが・・・

越後の次は、
どこを我が領土にしようか・・・

時代は戦国時代。

周辺で戦いが起き続け、領主となった大名たちは、次々に領土を求めていました。

越後守護代から関東管領へ:打倒北条

左上から時計回りに、織田信長、羽柴秀吉、徳川家康、毛利元就(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研、Wikipedia)

ここで、景虎に転機が訪れます。

なんとか越後をまとめた長尾景虎の元に、ある貴人がやってきます。

私を
助けてください・・・

上野国の関東管領である上杉憲政でした。

関東の北条家(後北条家)に押されて、領土を失った上杉憲政が長尾家を頼ります。

後北条家に叩き潰された関東管領・上杉憲政の要請を受けて、関東にドッと出陣した景虎。

私に
お任せを!

関東管領は非常に高い家柄ですが、
我が長尾家は、守護代の家柄・・・

長尾家は、
しっかりした家ですから、ご安心を!

お願いしますぞ!

北条家に
打撃を加えて見せましょう!

こうして、「長尾から上杉へ」の流れに乗った景虎。

戦国大名 北条早雲(Wikipedia)

当時、関東で最大勢力となっていた北条家。

元々は、今川家と関係が深かった伊勢新九郎が関東に地歩を築きました。

そして、「北条」を名乗った伊勢家は、二代目氏綱の時に、さらに飛躍しました。

戦国大名 北条氏綱(Wikipedia)
戦国大名 北条氏康(Wikipedia)

そして、三代目の英傑・北条氏康の代となり、非常に安定した強固な国家となっていた北条家。

「関東の端」であった伊豆から相模、武蔵へと着々と勢力を伸ばしました。

そして、「関東の王」とも言われる関東管領である上杉憲政を追った氏康。

関東は
北条家のものよ!

上杉憲政の領国であった上野のほぼ全域を制圧し、意気揚々の北条氏康。

領土を一気に拡大した景虎:権威x軍事力

関東・甲信勢力図 1555年(歴史人 2020年11月号掲載図から一部抜粋)
関東勢力図 1561年頃(歴史人 2020年11月号掲載図から一部抜粋)

そこに、「上杉家から救援要請された」という大義名分を掲げた「若き龍」景虎が乗り込んできました。

北条を
叩き潰せ!

目覚ましいほど、一気に関東に勢力を伸ばします。

地図がサッと塗り替えられている印象です。

小石を積み上げるように、地道に関東に勢力を伸ばしてきた北条氏。

そして、確実に新たな「関東の王」となりつつあった北条氏康。

一体
なんなんだ?

この猛烈な
勢いと強さは・・・

短時間でこれだけの勢力図が変わるのは、非常に稀なケースです。

後に織田信長が武田勝頼を破って勢力を一気に東に延長した時くらいでしょう。

従属していた関東の国衆・地侍たちが、次々と景虎側についてしまいます。

着実に関東制覇しつつあった氏康。

しまった・・・

こんなことに
なるとは・・・

唇を噛み締める思いだったでしょう。

デビューして、いきなり領土を一気に拡大した長尾景虎。

この後、柿崎景家らの猛将を引き連れて、一気に戦国時代に殴り込みをかけます。

柿崎景家(Wikipedia)

「越後の龍」と恐れられますが、龍のすぐ近くでは虎が睨みを効かせていました。

後に軍神と呼ばれる景虎(謙信)ですが、この頃はまだ「未知数」の評価だったでしょう。

鮮烈なデビューを飾り、意気揚々の景虎。

信玄と対比されることの多い景虎・謙信。

「越後の龍」は、「関東の覇者」を叩き潰し、大いなる権威と領土を手に入れようとしていました。

この後、進んで関東管領に就任した景虎は、中世保持を目論んだ「中世の伝道者」と言えるでしょう。

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