上杉謙信 1〜越後の龍登場〜|戦国武将

前回は「柴田勝家 3〜卓抜した戦闘力と統率力〜」でした。

上杉謙信(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

今回は上杉謙信です。

「信玄と謙信」というと「川中島の戦い」の話になります。

神がかった「軍神」上杉謙信。

「信長の野望」(コーエーテクモ)でも「天下統一」(システムソフト)でも「戦闘能力1位」は不動です。

単なる数字的な1位だけではなく「異常な戦闘的強さ」を持つ武将としてゲームでは描かれています。

「上杉謙信が突撃すれば終わり」という雰囲気すらあります。

同様に「戦の神様」と考えられる武田信玄。

武田晴信(信玄)(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

「信長の野望」では、全ての能力で非常に強力です。

「天下統一」では、武力よりも攻城戦などの知謀が高く評価されています。

この上杉謙信の軍神像は、多分にイメージの要素が強い面もあります。

「戦上手」というと「軍勢を率いて突進して、相手を突き破る」能力が大事です。

そして、竹中半兵衛のイメージである軍師として「采配を振い、軍勢を動かして将棋のように相手を破る」能力も大事です。

前者のイメージが強い謙信。

川中島の戦いで見せたように「采配的能力」も、尋常極まりない抜群の武将と考えられています。

そして、総合的に「戦国最強」となります。

越後守護代の長尾家に生まれた長尾景虎(上杉謙信)。

景虎が家督を継いだ頃は、一族の内紛や越後北部の揚北衆が背き、内乱状態でした。

関東勢力図 1555年頃(歴史人 2020年11月号掲載図から一部抜粋)

後北条氏に押された上野国の上杉憲政が長尾家を頼ります。

後北条家に叩き潰された関東管領 上杉憲政の要請を受けて、関東にドッと出陣した景虎。

上杉憲政殿から頼られた・・・

上杉家を継いで、長尾景虎から上杉政虎となるぞ!

北条を叩き潰せ!

目覚ましいほど、一気に関東に勢力を伸ばします。

関東勢力図 1561年頃(歴史人 2020年11月号掲載図から一部抜粋)

地図がサッと塗り替えられている印象です。

小石を積み上げるように、地道に関東に勢力を伸ばしてきた北条氏。

当時の当主は、名将として名高い北条氏康でした。

北条氏康(Wikipedia)

一体なんなんだ?

この猛烈な勢いと強さは・・・

短時間でこれだけの勢力図が変わるのは、後に織田信長が武田勝頼を破って勢力を一気に東に延長した時くらいでしょう。

従属していた関東の国衆・地侍たちが、次々と景虎側についてしまいます。

着実に関東制覇しつつあった氏康。

しまった・・・

こんなことになるとは・・・

唇を噛み締める思いだったでしょう。

デビューして、いきなり領土を一気に拡大した長尾景虎。

この後、柿崎景家らの猛将を引き連れて、一気に戦国時代に殴り込みをかけます。

柿崎景家(Wikipedia)

「越後の龍」と恐れられますが、龍のすぐ近くでは虎が睨みを効かせていました。

信玄と対比されることの多い謙信。

信長とも対比して考えたいと思います。

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