前回は「上杉謙信 1〜越後の龍登場〜」でした。

上杉憲政から「上杉家の家名相続」と「関東管領への就任」の要請を受け入れた長尾景虎。
関東管領上杉家を継いだ長尾景虎は、上杉政虎へと変身します。
そして、一躍関東に出撃し、猛烈な勢いで勢力拡張を成し遂げました。

これは、上杉謙信が「北条家の軍勢を次々と破って勢力拡張した」という状況ではありませんでした。
「関東管領」の威光が、猛烈に強かったのが大きな理由です。

私は、関東管領
上杉政虎である!
はは〜っ!
北条ではなく、上杉家に従います。
さらに若きニューフェイスで実力者である上杉景虎(謙信)への信頼感・期待感が大きな原動力でした。
北条に従っていた関東の国衆が、次々と怒涛のように景虎に従属し、景虎の勢力圏が一気に広がります。


この時上杉謙信は10万(実数はせいぜい5〜6万程度と思います)とも呼称される軍勢を率いて、乗り込みました。
そして、小田原城を遠巻きに包囲しています。
さらに、鶴岡八幡宮で「関東管領の戴冠式」まで行っています。
1560年頃には、関東に広大な領土を持っていた北条家。



北条を滅亡させよ!
北条家は「滅亡寸前まで追い詰められた」と言っても過言ではないでしょう。





長尾景虎?



誰だ、この若者は?



我が関東の覇王である北条家が、
こんな無様なことになるとは・・・
北条氏康は歯軋りして悔しがったに違いない。
1554年に結んだ甲相駿三国同盟が大きく機能して、武田家・今川家に支援して欲しいのが実情です。


特に長尾家を地図上、側面から攻撃できる立場の武田家には大いに期待した氏康でした。



晴信よ!
長尾家を攻撃してくれ!



そして、我が北条家を助けてくれ!
しかし、三国同盟は大きな節目を迎えていました。
この直前の1560年、桶狭間の戦いで今川義元が、織田信長に討たれてしまったのです。
そして、今川家が事実上機能不全に陥っていたのです。


信玄・氏康からみたら、若造の長尾景虎でした。
さらに4歳若い「超若造」の織田信長が、満を持して戦国の世に殴り込みをかけてきたのです。


考えもしなかった事態の急変のあまりに、信玄ですら、しばらくは事態を静観せざるを得ない状況にあったのです。





同盟を結ぶ北条を支援したいが・・・



景虎の勢いがあまりに強すぎて、
どうしようもない。



しかも、今川家が今後どうなるのかが、
全く分からぬ・・・
信玄からすれば、「動けない」のが本音だったでしょう。



北条を叩き潰せ!



関東を我が手に!
戦国の最強軍団と言われる、武田騎馬隊と優れた家臣団を持つ武田信玄。
長尾景虎・織田信長というニューフェイスの壮絶なパワーに、しばし静観して情報を集める事に集中していたのでした。



長尾景虎のことを、調べよ!



信長も気になる・・・



関東管領として、関東武士を従えるのだ!



北条は引っ込んでろ!



さもなければ、我が上杉家に従え!



くっそ〜!
若造めが!