本能寺の変 11〜優美な「山国の水城」・亀山城・中国戦線・羽柴と明智・光秀と信長の築城〜|明智光秀の新たな拠点

前回は「本能寺の変 10〜織田信長の拠点移動・近畿管領・丹波・光秀と信長の築城〜」でした。

織田信長と明智光秀(新歴史紀行)
目次

中国戦線:羽柴秀吉と明智光秀

軍事的能力も非常に高かった明智光秀。

秀吉とともに組ませれば、毛利攻略は早めに進みそうです。

織田信長(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

猿と
キンカン頭が組むか。

面白そうよのう・・・

丹波は山が多いので、黒井城・八上城よりも亀山城のほうが出撃しやすい土地柄です。

それでも、やはり光秀を前線に行かせるよりも、京都周辺にいて欲しかったのでしょう。

丹波平定後の光秀直轄領(図説明智光秀 柴裕之編著 戎光祥出版)

光秀が信長から暴言を浴びせられた・殴られたなどの説は、羽柴秀吉あたりが作った嘘でしょう。

羽柴 秀吉(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

実際は、信長は光秀を最初から最後まで重用していて、大事にしていたのでしょう。

光秀 丹波攻略(歴史道vol.13 朝日新聞出版)

そして、信長の期待に大いに応え、懸命に働いた光秀でした。

明智光秀(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

石ころから大名へ:亀山城築城

私は、
ただの石ころだった。

信長様のおかげで、
大名となったのだ!

坂本城及び街を、丁寧に作り上げた建築的センスを持つ光秀。

そのデザインセンスを活かして、光秀は亀山城及び街づくりでも本領発揮します。

京・山城との
関係が深い、歴史ある国・丹波・・・

この丹波の地に、
これまでにない城を築くのだ・・・

光秀の精魂尽くした「城と街が一体となった」亀山城。

実に優雅なデザイン・設計です。

亀山城のイメージ(歴史人2020年7月号 KKベストセラーズ)

信長も新たな安土城築城の際は、安土城と城下町の関係は非常に良く考えていました。

余の城は、
権威の象徴だけではない。

光秀の「山国の水城」というコンセプトは今見ても新鮮味があり、当時は大変斬新でした。

光秀の
「山国の水城」亀山城・・・

面白いのう・・・

こういう秀吉や勝家にはない、光秀ならではのセンスを信長は愛していたのでしょう。

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