前回は「本能寺の変 10〜織田信長の拠点移動・近畿管領・丹波・光秀と信長の築城〜」でした。

目次
中国戦線:羽柴秀吉と明智光秀
軍事的能力も非常に高かった明智光秀。
秀吉とともに組ませれば、毛利攻略は早めに進みそうです。


猿と
キンカン頭が組むか。



面白そうよのう・・・
丹波は山が多いので、黒井城・八上城よりも亀山城のほうが出撃しやすい土地柄です。
それでも、やはり光秀を前線に行かせるよりも、京都周辺にいて欲しかったのでしょう。


光秀が信長から暴言を浴びせられた・殴られたなどの説は、羽柴秀吉あたりが作った嘘でしょう。


実際は、信長は光秀を最初から最後まで重用していて、大事にしていたのでしょう。


そして、信長の期待に大いに応え、懸命に働いた光秀でした。


石ころから大名へ:亀山城築城



私は、
ただの石ころだった。



信長様のおかげで、
大名となったのだ!
坂本城及び街を、丁寧に作り上げた建築的センスを持つ光秀。
そのデザインセンスを活かして、光秀は亀山城及び街づくりでも本領発揮します。



京・山城との
関係が深い、歴史ある国・丹波・・・



この丹波の地に、
これまでにない城を築くのだ・・・
光秀の精魂尽くした「城と街が一体となった」亀山城。
実に優雅なデザイン・設計です。


信長も新たな安土城築城の際は、安土城と城下町の関係は非常に良く考えていました。



余の城は、
権威の象徴だけではない。
光秀の「山国の水城」というコンセプトは今見ても新鮮味があり、当時は大変斬新でした。



光秀の
「山国の水城」亀山城・・・



面白いのう・・・
こういう秀吉や勝家にはない、光秀ならではのセンスを信長は愛していたのでしょう。