前回は「本能寺の変 10〜光秀の立場 4〜」でした。

軍事的能力も非常に高かった明智光秀。
秀吉とともに組ませれば、毛利攻略は早めに進みそうです。


猿と
キンカン頭が組むか。



面白そうよの。
丹波は山が多いので、黒井城・八上城よりも亀山城のほうが出撃しやすい土地柄です。
それでも、やはり光秀を前線に行かせるよりも、京都周辺にいて欲しかったのでしょう。


光秀が信長から暴言を浴びせられた・殴られたなどの説は、羽柴秀吉あたりが作った嘘でしょう。


実際は、信長は光秀を最初から最後まで重用していて、大事にしていたのでしょう。


そして、信長の期待に大いに応え、懸命に働いた光秀でした。





私は、ただの石ころだった。



信長様のおかげで、大名となったのだ!
坂本城及び街を、丁寧に作り上げた建築的センスを持つ光秀は、亀山城及び街づくりでも本領発揮します。
亀山城は光秀の精魂尽くした「城と街が一体となった」雅な計画となっています。


信長も新たな安土城築城の際は、安土城と城下町の関係は非常に良く考えていました。



ワシの城は権威の象徴だけではない。
光秀の「山国の水城」というコンセプトは今見ても新鮮味があり、当時は大変斬新でした。
こういう秀吉や勝家にはない、光秀ならではのセンスを信長は愛していたのでしょう。