本能寺の変 10〜織田信長の拠点移動・近畿管領・丹波・光秀と信長の築城〜|明智光秀の新たな拠点・亀山城

前回は「本能寺の変 9〜「国替え」の可能性・丹波攻略戦・デザインセンス・光秀と信長の築城〜」でした。

織田信長と明智光秀(新歴史紀行)
目次

拠点を次々移転した織田信長

何度か拠点を移動した信長。

那古野城→清洲城→小牧山城→岐阜城(稲葉山城)→安土城と、最後の安土城が5ヶ所目です。

織田信長の本拠地移転(新歴史紀行)

最後に「大坂への拠点移動を考えていた」と言われる信長。

織田信長(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

次は
大坂だ!

途中の小牧山城は、あまりに手こずった斎藤家との戦いで、「少しでも美濃へ近く」という戦略でした。

その意味では、「本拠地移転」ならぬ「本拠地を前線へ移動」とも考えられます。

家臣は、なかなか移動したがらず、なかには移転を渋った家臣もいました。

引っ越しは
大変です・・・

そういう家臣に対しては、信長は引きずるようにして連れてゆき、新たな拠点に移動したのです。

次の拠点へ
行くのだ!

早く
移動しろ!

この「時期に応じて、本拠地を移動する」という発想。

信玄・謙信・氏康らは全く考えもしなかったことでした。

武田晴信(信玄)(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

本拠地を
移転する?

そんなこと、
考えもしなかった・・・

我が武田の本拠地は、
ずっと甲斐!

私は
甲斐守護なのだ!

中世的な武田信玄は「甲斐守護」の名前にこだわったのでしょう。

関東管領を継いで「関東の主」となった上杉謙信。

上杉謙信(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

私の拠点は、
越後の春日山城。

死ぬまで
変えるつもりはない!

拠点をコロコロ変える信長が、
どうかしている!

本拠地は「精神の故郷」であって、
変わるはずがない!

そんなことは、
どうでも良い!

引っ越しすると、
新たな気持ちになり、とても良い!

そして、坂本城付近の「南近江の一部」の領主だった明智光秀。

明智光秀(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

京都の隣国・丹波一国を領する意味:近畿管領

丹波攻略後に、初めて「一国丸ごと」与えられます。

一城の主人から、
一国の主人へ!

丹波国は、
明智の国!

光秀よ。
嬉しいか?

有難き仕合わせ!

さらに、
信長様に尽くします!

そして、丹波国を支配していた波多野氏の拠点・八上でも、赤井氏の拠点・黒井でもない亀山を拠点とした光秀。

信長のような強権を発動すれば、拠点や栄えている場所などの「国の様相」が一挙に変わる可能性があります。

光秀はそういうことをしないでしょうし、その権限もないでしょう。

丹波平定後の光秀直轄領(図説明智光秀 柴裕之編著 戎光祥出版)

この地図から黒井城は播磨・但馬から程近く、毛利を攻める秀吉と共同戦線を張るにはちょうど良い位置です。

光秀を前線に立たせて、秀吉と共に毛利を攻めさせるには、黒井城か八上城が良さそうです。

そして、その後に九州平定を任せるのを優先するなら、信長は光秀に黒井城か八上城を本拠とさせたでしょう。

光秀 丹波攻略(歴史道vol.13 朝日新聞出版)

京に、ほど近い亀山城を光秀の拠点とさせた信長。

坂本城と亀山城の「京からの距離」は、同程度です。

浅井・朝倉戦の時とは大きく変わった織田家。

光秀よ。
新たな気持ちになれ!

ははっ!

光秀に、さらなる活躍を期待した信長でした。

光秀を、自分のそばに
置いておきたい。

猿(秀吉)や権六(柴田)には出来ぬことを、
光秀はできる。

近畿は、
この光秀におまかせを!

1582年の織田家における、光秀の立場は、他の家臣よりも「一歩抜きん出た存在」だったのでした。

本能寺の変 1(歴史道vol.13 朝日新聞出版)

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