前回は「本能寺の変 9〜光秀の立場 3〜」でした。

何度か拠点を移動した信長。
那古野城→清洲城→小牧山城→岐阜城(稲葉山城)→安土城と、最後の安土城が5ヶ所目です。
この後、「大坂への拠点移動を考えていた」と言われる信長。


次は大坂だ!
途中の小牧山城は、あまりに手こずった斎藤家との戦いで、「少しでも美濃へ近く」という戦略でした。
その意味では、「本拠地移転」ならぬ「本拠地を前線へ移動」とも考えられます。
家臣は、なかなか移動したがらず、なかには移転を渋った家臣もいました。
そういう家臣に対しては、信長は引きずるようにして新たな拠点に移動したのです。



次の拠点へ
行くのだ!



早く移動しろ!
この「時期に応じて、本拠地を移動する」という発想。
信玄・謙信・氏康らは全く考えもしなかったことでした。





本拠地は、ずっと甲斐!



私は甲斐守護なのだ!
中世的な武田信玄は「甲斐守護」の名前にこだわったのでしょう。
関東管領を継いで「関東の主」となった上杉謙信。





私の拠点は、
越後の春日山城。



死ぬまで
変えるつもりはない!



拠点をコロコロ変える信長が、
どうかしている!



本拠地は「精神の故郷」であって、
変わるはずがない!



そんなことは、
どうでも良い!



引っ越しすると、
新たな気持ちになり、とても良い!
そして、坂本城付近の「南近江の一部」の領主だった明智光秀。


丹波攻略後に、初めて「一国丸ごと」与えられます。



一城の主人から、一国の主人へ!



丹波国は、明智の国!



光秀よ。
嬉しいか?



有難き仕合わせ!



もっと、信長様に尽くします!
そして、丹波国を支配していた波多野氏の拠点・八上でも、赤井氏の拠点・黒井でもない亀山を拠点とした光秀。
信長のような強権を発動すれば、拠点や栄えている場所などの「国の様相」が一挙に変わる可能性があります。
光秀はそういうことをしないでしょうし、その権限もないでしょう。


この地図から黒井城は播磨・但馬から程近く、毛利を攻める秀吉と共同戦線を張るにはちょうど良い位置です。
光秀を前線に立たせて、秀吉と共に毛利を攻めさせるには、黒井城か八上城が良さそうです。
そして、その後に九州平定を任せるのを優先するなら、信長は光秀に黒井城か八上城を本拠とさせたでしょう。


京に、ほど近い亀山城を光秀の拠点とさせた信長。
坂本城と亀山城の「京からの距離」は、同程度ですが、浅井・朝倉戦の時とは大きく変わった織田家。



光秀よ。
新たな気持ちになれ!



ははっ!
光秀に、さらなる活躍を期待した信長でした。



光秀を、自分のそばに
置いておきたい。



猿や権六には出来ぬことを、光秀はできる。



近畿は、この光秀におまかせを!

