前回は「本能寺の変 8〜丹波・細川藤孝・織田家の中心〜」でした。

宿老たちの「国替え」の可能性
本能寺の変勃発当時、柴田勝家・明智光秀らの宿老格の重臣まで「国替えが想定されていた」可能性があります。

非常に恵まれていた、光秀の坂本城の立地などの諸条件。
今回は、1579年に光秀が占領した丹波について考えます。
丹波を光秀が攻め、占領後に光秀に与えられたのは、「信長の既定路線」でしょう。
坂本城が本拠地だった光秀は、亀山城に本拠地を移します。
やはり、「京に近い」亀山城を本拠としたことは大きな点だと思います。

丹波攻略戦と明智光秀
もともと大勢の国人たちが割拠していた統治困難な地であった山国・丹波。
丹波西側に位置する黒井城は、もとは武勇が天下に鳴り響いていた赤井(荻野)直正が領していました。
丹波で最も影響力が高かったのは、八上城の波多野氏。
光秀も非常に手こずった丹波攻略。
比較的順風満帆だった、光秀の軍事活動でしたが、丹波では痛撃を喰らいます。

調略により、一時は順調だった丹波攻略。
波多野氏たちの裏切りにより、光秀は敗走します。

まさか・・・
その後、何とか再起して丹波を攻略しました。



丹波攻略は、
実に、実に大変だった・・・



一時は、
死ぬような思いをさせられた・・・
八上城攻略には、大変な時間がかかりました。



八上城は、遠巻きに囲んで、
なんとか落城させた。
光秀が亀山城を主城としたのは、信長の命令でしょう。





光秀よ。
拠点を坂本城から、亀山城へ移せ!



ははっ!
八上城 波多野氏と黒井城 赤井氏が有力だった丹波国。


丹波占領後は、このどちらかを光秀の本拠地とするのが、合理的でしょう。
旗頭となる赤井氏、波多野氏を倒した後、光秀は様々な丹波の侍や兵士を配下に加えます。





四王天政孝は、
戦闘能力が高い!



苦労したが、
丹波攻略で、良き家臣も増えたのだ!
光秀が、「亀山城を新たな本拠地とした」のは自然の成り行きでもありました。
領主が変わったとしても、国の中心はすぐに変わるものではないからです。
「前の主とは異なる」路線を明らかにするために、「拠点変更」はあり得ます。
信長以外で光秀のみ持っていたデザインセンス
この頃の、当時の日本において「抜群の存在」だった織田家。
丹波国の国衆に「主が変わったことを知らしめる」必要などない状況です。



もはや、
織田の天下は揺るぎない!



時間の問題だ!
京に近く、山国ながら、都の典雅さを少し感じられる亀山。
坂本城5万石に加え、丹波国29万石を任せられ、一気に34万石の大名となった光秀。
経済力は7倍となり、明智家は一気に増強されます。
そして、この地に光秀は、優美な水城・亀山城を築きます。


こういう秀吉や勝家にはない、光秀ならではのセンスを信長は愛していたのでしょう。



光秀の
城づくり・街づくりのセンス・・・・・



そのセンスは、
抜きん出ている。



猿(秀吉)や
権六(勝家)では無理よ!



私は、
築城も得意です!
このセンスを持つ人間は、当時、信長と光秀のみだったでしょう。

