本能寺の変 9〜光秀の立場 3〜

前回は「本能寺の変 8〜光秀の立場 2〜」でした。

織田信長と明智光秀(新歴史紀行)

本能寺の変勃発当時、柴田勝家・明智光秀らの宿老格の重臣まで「国替えが想定されていた」可能性。

非常に恵まれていた、光秀の坂本城の立地などの諸条件。

今回は、1579年に光秀が占領した丹波について考えます。

丹波を光秀が攻め、占領後に光秀に与えられたのは既定路線です。

やはり、「京に近い」亀山城を本拠としたことは大きな点だと思います。

丹波平定後の光秀直轄領(図説明智光秀 柴裕之編著 戎光祥出版)

山国 丹波はもともと大勢の国人たちが割拠していた統治困難な地でした。

丹波西側に位置する黒井城は、もとは武勇が天下に鳴り響いていた赤井直正が領していました。

丹波で最も影響力が高かったのは八上城の波多野氏。

光秀も非常に手こずった丹波攻略。

比較的順風満帆だった、光秀の軍事活動でしたが、丹波では痛撃を喰らいます。

明智光秀(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

調略により、一時は順調だった丹波攻略は、波多野氏たちの裏切りにより、光秀は敗走します。

丹波攻略は、大変だった・・・

一時は、死ぬような思いをさせられた・・・

八上城攻略には、大変な時間がかかりました。

八上城は、遠巻きに囲んで、なんとか落城させた。

光秀が亀山城を主城としたのは、信長の命令でしょう。

織田信長(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

光秀よ。
拠点を坂本城から、亀山城へ移せ!

ははっ!

八上城 波多野氏と黒井城 赤井氏が有力だった丹波国。

光秀 丹波攻略(歴史道vol.13 朝日新聞出版)

丹波占領後は、このどちらかを光秀の本拠地とするのが、合理的でしょう。

旗頭となる赤井氏、波多野氏を倒した後、光秀は様々な丹波の侍や兵士を配下に加えます。

領主が変わったとしても、国の中心はすぐに変わるものではないからです。

「前の主とは異なる」路線を明らかにするために、「拠点変更」はあり得ます。

しかし、この頃の織田家は、丹波国の国衆に「主が変わったことを知らしめる」必要などない状況です。

もはや、織田の天下は揺るぎない!

時間の問題だ!

京に近く、山国ながら、都の典雅さを少し感じられる亀山。

坂本城5万石に加え、丹波国29万石を任せられ、一気に34万石の大名となった光秀。

経済力も7倍となり、明智家は一気に増強されます。

そして、この地に光秀は、優美な水城・亀山城を築きます。

亀山城のイメージ(歴史人2020年7月号 KKベストセラーズ)

こういう秀吉や勝家にはない、光秀ならではのセンスを信長は愛していたのでしょう。

光秀の城づくり、街づくりのセンスは、抜きん出ている。

猿(秀吉)や権六(勝家)では無理よ!

このセンスを持つ人間は、当時、信長と光秀のみだったでしょう。

本能寺の変 1(歴史道vol.13 朝日新聞出版)
目次
閉じる