本能寺の変 3〜坂本城と光秀〜|織田信長と明智光秀

前回は「本能寺の変 2〜キリシタン勢力と本能寺の変の関係〜」の話でした。

織田信長と明智光秀(新歴史紀行)

「本能寺の変」をさらに考えてゆくにあたり、長年の光秀と信長の関係を考えます。

明智光秀の歴史は不明な部分が多いですが、細川藤孝(後の幽斎)との縁から足利義昭に支えます。

そして、1567年頃から織田信長にも仕えました。

明智光秀の教養・政治力・軍事力などを、信長が大変重用しました。

光秀は使える!
織田家にはない人材だ!

明智光秀が織田家で「最初の城持ち大名」となったことからも明らかです。

明智光秀(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

当時、長年の宿敵であった浅井・朝倉を叩き潰した直後、信長は光秀に領土を与えます。

光秀をよほど信頼していたことは、光秀に与えた坂本城の位置、価値を見ればわかります。

琵琶湖ネットワーク(別冊歴史人2016年12月号ベストセラーズ)

光秀に坂本城を与えた頃は、信長は明確に天下統一を意識しています。

そして、安土城築城と拠点を岐阜城から安土城へ移動することを考えていたはずです。

坂本城は、安土城の琵琶湖を挟んで対岸に位置します。

様々な開発の影響があり、琵琶湖の形は、当時とはだいぶ違います。

安土城の天主閣跡から琵琶湖を眺めると、坂本城があったであろう位置がわかります。

安土城から琵琶湖を望む(新歴史紀行)

当時、安土城と坂本城はまさに「すぐ近く」です。

車や電車のなかった当時、船は速度がとても早い乗り物でした。

安土城から坂本城は、当時の感覚では「目と鼻の先」という感じでしょう。

安土城は山城ですが、岐阜城に比べると山の高さはだいぶ低く、むしろ丘のような感じです。

安土城趾の安土山(新歴史紀行)
岐阜城見上げ(新歴史紀行)

こうしてみると、高さが全然違います。

岐阜城は、まさに「あたりを睥睨する」かのような威容が当時ありました。

それに比べ、安土城は遠くから見えることのメリットとがあります。

そして「地面により近く、移動がしやすい」位置であることが、信長にとって大事であったと思います。

織田信長(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

当時、岐阜城を拠点としていた信長は「京都から近く、交通の要衝で、小高い山で街がつくりやすい」場所を探します。

近江の安土山こそが、私のイメージにぴったりだ!

そして、「将来の拠点」として安土城を選び、それを念頭に明智光秀を坂本城に置いたと思います。

織田信長は明智光秀を気に入っていただけではなく、とても好きだったのではないでしょうか。

むしろ、羽柴秀吉よりも。

羽柴秀吉(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

あの光秀の典雅な雰囲気は好きだ。

猿にはないものだ。

そうでなければ、この坂本城を光秀に与えた理由が説明できないと思います。

私は低い身分出身ゆえ・・・

しかも坂本城は安土城よりも「京都に近い」位置で、安土城の山城とは大きく異なる優美な水城であった坂本城。

当時も大変有名であり、諸将の垂涎の的であったでしょう。

坂本城のイメージ(歴史人2020年7月号 KKベストセラーズ)

光秀の交渉能力は、羽柴秀吉や柴田勝家よりも高かったでしょう。

そして、京都を差配していた村井貞勝とはまた違う立場から幕府と折衝していました。

朝廷との折衝は朝山日乗らがメインですが、光秀も関与していたと考えます。

折衝は、私が最も得意とすることの一つだ。

同様に可愛がられ重宝されていた羽柴秀吉は、信長から近江今浜を与えられました。

そして、今浜を長浜と地名を変え、長浜城を建てました。

長浜城(歴史人2020年7月号 KKベストセラーズ)

当時の長浜城は、坂本城同様に「琵琶湖に突き出すように建築された」ともわれています。

しかし、やはり坂本城と比較すると、その軍事的・戦略的重要性は大分劣るでしょう。

後に光秀が敗死し、秀吉が天下を取ることもあり、秀吉の存在に重きを置かれています。

近畿管領とも言われた明智光秀の存在、能力は当時の織田家において、群を抜いていたのでしょう。

その最中に突如勃発したのが、日本史上最大の謎「本能寺の変」でした。

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