羽柴秀吉 10〜中世の「民衆パワー」と合戦 1〜

前回は「〜拡大する蜂須賀たちとの活動〜」という話でした。

羽柴 秀吉(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

少し時代が先に行き、有名な金ヶ崎の戦いの殿軍の話です。

この時は、秀吉が自ら殿軍を買って出た話となっています。

そして、光秀や家康(諸説あり)も協力して、辛くも退却した話となっています。

なんとか逃げ切った・・・

危ないところだった・・・

明智 光秀(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

光秀殿、ご協力感謝いたす。

木下殿の、浅井・朝倉の追撃戦の采配、
見事でござった。

退却戦において、秀吉は用兵巧みに戦い、浅井・朝倉軍を退けました。

徳川 家康(Wikipedia)

あの木下藤吉郎という男の采配は、
なかなかのもの。

調略中心だった羽柴秀吉は、非常に優れた軍事的才覚を見せます。

金ヶ崎の戦いの殿軍で奮戦する秀吉(歴史人2020年7月号 KKベストセラーズ)

柴田勝家などから軽んじられていた秀吉は、ここで一気に男を上げました。

猿よ!
よくぞ殿を務め上げた!

余が無事退却できたのも、猿の
奮戦のおかげだ!

有難き幸せ!

柴田 勝家(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

猿め!
なかなかやる!

私は調略だけではない!

軍事能力にも長けているのだ!

この時、すでに竹中重治が秀吉の参謀役となっていました。

竹中 重治(図説・戦国武将118 学研)

いかに竹中重治の軍略が長けていて、秀吉の統率能力が高くても、当時の秀吉軍はそれほど強固な存在ではなかったのです。

まだ織田家で長い歴史のない羽柴秀吉の郎党は、それほど秀吉に忠誠心もない状況です。

金ヶ崎侵攻路・撤退路(歴史群像シリーズ 図説戦国合戦地図集 学習研究社)

その中、「絶体絶命」の退却戦を命を懸けて戦う義理はないです。

退却戦では、秀吉直轄の織田家正規軍よりも、傭兵の力が強かったのでしょう。

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