前回は「立花道雪 15〜龍造寺の凋落〜」の話でした。

かつては、「大友家に従属していた」龍造寺家。

そもそもは、鎌倉時代に筑前・豊前・肥前などの守護を兼ねた少弐氏の家臣に過ぎなかったのです。

それが、龍造寺隆信のカリスマ性と猛烈な戦闘能力で、急成長しました。

そのあまりに急速な勢いは、瞬間風速的には「九州最大の勢力」と言っても過言でもありませんでした。

しかし、調子に乗り過ぎたことが祟り、はるかに軍勢の少ない島津家に「沖田畷の戦い」で惨敗しました。
当主の龍造寺隆信をはじめとして、龍造寺四天王が全滅するほどの大惨敗。
もはや「再起不能」のレベルの打撃を受けた龍造寺家。


龍造寺を
支える!
智勇兼備の猛将・鍋島直茂がいますが、もはやその凋落ぶりは目を覆うばかりです。


龍造寺を降した島津家は、ひたすら北上を続け、大友家の本拠地豊後を睨みます。





これは・・・
かつては九州の多くの守護を兼ね、「九州最強」だった大友家もまた、凋落しました。



もはや、
島津には対抗できぬか・・・
大友家の最盛期には、中国地方の毛利と死闘を演じた道雪。



南に
早く目を向けるべきであった・・・
しかし、もはや「全てが遅い」状況となりました。


若き時から武勇が天下に鳴り響いていた立花道雪。



道雪殿に
会ってみたい・・・
1521年生まれの信玄にとって、1513年生まれの道雪は、8年も歳上の大先輩です。
「甲斐の虎」武田信玄までもが、遠く九州で戦っているにも関わらず「面会を望んだ」ほどの道雪。
まさに、「天下最強」の武雷神でした。



大友は
もはや終わりか・・・



しかし、私の
全てをかけて、大友を守ってみせる!
この時、道雪は自分の人生が残り少ないことを感じていました。



私の生命も
それほど長くはない・・・



だが、私の武勇を
継ぐものがいるのだ・・・



あの時、
紹運殿に無理を頼んでよかった・・・


道雪は跡を継ぐ・立花宗茂に大友家の将来を託していました。