武雷神立花道雪の武勇を継ぐもの〜立花宗茂への継承・瞬間風速的に「九州最大の勢力」となった龍造寺・沖田畷で「再起不能」の打撃を受けた龍造寺〜|立花道雪16・能力・人物像・エピソード

前回は「島津の勢力増強を前に諦観した立花道雪〜龍造寺隆信の戦死・闘神島津家久の真骨頂・田んぼに足を取られた龍造寺軍・決死の赤星隊〜」の話でした。

立花道雪(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)
目次

瞬間風速的に「九州最大の勢力」となった龍造寺

1570年頃の九州勢力図(歴史人2020年11月号 KKベストセラーズ)

かつては、「大友家に従属していた」龍造寺家。

龍造寺家は、そもそも鎌倉時代に筑前・豊前・肥前などの守護を兼ねた少弐氏の家臣に過ぎなかったのです。

戦国大名 龍造寺隆信(Wikipedia)

我が龍造寺は
ワシの代で飛躍する!

それが、龍造寺隆信のカリスマ性と猛烈な戦闘能力で、急成長しました。

1582年頃の九州勢力図(歴史人2020年11月号 KKベストセラーズ)

そのあまりに急速な勢いは、「肥前の熊」と言われた龍造寺隆信の風貌通り猛烈でした。

龍造寺は、瞬間風速的には「九州最大の勢力」と言っても過言でない「大躍進」を遂げた龍造寺。

沖田畷で「再起不能」の打撃を受けた龍造寺

沖田畷の戦い(歴史人2020年11月号 KKベストセラーズ)

ところが、調子に乗り過ぎた龍造寺隆信。

全員
命を惜しむな!

とにかく
進め!

このワシに
敵などいないわ!

小勢の島津を甘く見たことが祟り、島津の「釣り野伏せ」で思い切り反撃を受けた隆信は、

むう・・・
こんな馬鹿な・・・

もはや、
ワシもこれまで・・・

はるかに軍勢の少ない島津家に「沖田畷の戦い」で惨敗しました。

当主の龍造寺隆信をはじめとして、龍造寺四天王が全滅するほどの大惨敗。

もはや「再起不能」のレベルの打撃を受けた龍造寺家。

龍造寺家重臣 鍋島直茂(Wikipedia)

龍造寺を
支える!

智勇兼備の猛将・鍋島直茂がいますが、もはやその凋落ぶりは目を覆うばかりです。

1584年頃の九州勢力図(歴史人2020年11月号 KKベストセラーズ)

内部では鍋島直茂が支える龍造寺は、島津に屈服して、島津の従属大名となりました。

龍造寺を降した島津家は、ひたすら北上を続け、大友家の本拠地豊後を睨みます。

武雷神立花道雪の武勇を継ぐもの:立花宗茂への継承

戦国大名 大友宗麟(Wikipedia)

これは・・・

かつては九州の多くの守護を兼ね、「九州最強」だった大友家もまた、凋落しました。

もはや、
島津には対抗できぬか・・・

大友家の最盛期には、中国地方の毛利と死闘を演じた道雪。

南に
早く目を向けるべきであった・・・

ところが、もはや「全てが遅い」状況となりました。

戦国大名 武田 晴信(信玄)(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

若き時から武勇が天下に鳴り響いていた立花道雪。

道雪殿に一度
会うてみたい・・・

1521年生まれの信玄にとって、1513年生まれの道雪は、8年も歳上の大先輩です。

「甲斐の虎」武田信玄までもが、遠く九州で戦っているにも関わらず「面会を望んだ」ほどの道雪。

まさに、「天下最強」の武雷神でした。

大友は
もはや終わりか・・・

しかし、私の
全てをかけて、大友を守ってみせる!

この時、道雪は自分の人生が残り少ないことを感じていました。

私の生命も
それほど長くはない・・・

だが、私の武勇を
継ぐものがいるのだ・・・

あの時、
紹運殿に無理を頼んでよかった・・・

立花宗茂(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

道雪は跡を継ぐ・立花宗茂に大友家の将来を託していました。

次回は上記リンクです。

新歴史紀行

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