前回は「明智光秀 12〜未来都市を創った男 3〜」の話でした。
山の国・丹波に築いた水城・平城の亀山城。
のちに光秀の拠点となります。
信長が実現した壮麗な安土城とは、また別の壮麗さがあります。
高い芸術性と、あたかも未来都市かのような亀山城。
この城を実現した、光秀の建築的能力。
この極めて高い芸術性と技術力は、他の武将に比類がないでしょう。
まさに「未来都市の創造者 明智光秀」の大いなる力を発揮した街づくりでありました。
歴史にifはありませんが、光秀が本能寺の変を起こさなかったら。
そのまま織田信長による天下統一が、1584年頃に成し遂げられていたら。
信長が考えていた、大坂の城・まちづくりに、光秀は大きく関わったことでしょう。
惟任光秀として、九州の博多付近で新たな拠点を光秀がつくる歴史があったら、非常に面白かったでしょう。
また、そこでは亀山城などの近未来都市がつくられたかもしれません。
それはまさに「歴史にifはないが、見てみたかった歴史」であります。
ロマンが詰まった都市が、生み出されたでしょう。
政治的能力の高い明智光秀ですが、彼の真骨頂は軍事であると思います。
軍人・明智光秀は、芸術的センスと高い技術力をも併せ持つ存在であったのでした。
このセンスは、武田信玄や毛利元就ですら、全くみられないセンスでした。
その意味で、極めて貴重であった「明智光秀」という存在。
この「未来都市を生む」という類い稀な能力は、信玄・謙信・元就らは、まったく持たない能力でした。
当時、光秀以外にこういうセンスを持ち合わせ「未来を創り出す」存在は、いなかったでしょう。
織田信長を除いては。
そのように考える時、信長と光秀の両者の歯車がどこかで食い違い、ずれ続ける状況となります。
それは「如何ともしがたいこと」となったのでしょう。
そして、光秀が
信長を消すしかない!
と思い至った理由の一つとも、考えられます。