傲岸な性格だった草鹿龍之介〜若い頃に見定めた「我が道」・理系的合理性の発想と航空戦の未来・電探の実用性〜|草鹿龍之介3・能力・エピソード

前回は「一刀流の達人+山岡鉄舟の精神を継ぐ草鹿龍之介〜海兵と一高両方合格名家出の文武両道の優等生・「鰻上り」の大日本帝国〜」の話でした。

新歴史紀行
草鹿龍之介 第一航空艦隊参謀長(連合艦隊司令長官 別冊歴史読本 新人物往来社)
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傲岸な性格だった草鹿龍之介:若い頃に見定めた「我が道」

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江田島の海軍兵学校(江田島 日本の海軍教育 別冊歴史読本 新人物往来社)

幼い頃から優等生を貫き、海軍兵学校(海兵)と一高(東大)の両方に合格した草鹿龍之介青年。

草鹿龍之介

海兵も一高も合格したが、
海兵にゆくのだ!

後に草鹿の「天敵」のような存在となる宇垣纏は、海兵と陸士の両方に合格しました。

軍隊がなくなった現代日本では、陸士と海兵の存在は消され、防衛大学に統一されています。

現代と異なり、「生命を賭けて国家を護る」陸海軍将校のエリートの道であった陸士と海兵。

陸士と海兵は、当時は一高と呼ばれた東大と同等、あるいはそれ以上の難易度であった説が有力です。

それぞれの大学入試の問題の詳細が不明であり、これらの大学に合格する学力も不明ですが、

草鹿龍之介

海兵であろうが、一高であろうが、
合格した!

草鹿龍之介

その気になれば、
陸士だった合格可能だ!

「軍隊向けの頂点・海兵」と「一般の向けの頂点・一高」に合格した草鹿青年。

草鹿青年は、陸士にも合格出来る自信があったでしょう。

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山岡鉄太郎・鉄舟(Wikipedia)
草鹿龍之介

私は一刀正伝無刀流の
宗家になったのだ!

そして、幕末維新で大きな光を放った幕臣・山岡鉄舟の流れを汲む剣術の達人であった草鹿。

まさに、「文武両道を絵に描いた」ような存在でした。

そして、海兵41期を「14位/118名」の好成績で卒業した草鹿青年。

海軍兵学校卒業期名前役職海兵卒業成績
28永野 修身軍令部総長2
32山本 五十六連合艦隊司令長官11
32嶋田 繁太郎海軍大臣27
36南雲 忠一第一航空艦隊司令長官8
37小沢 治三郎南遣艦隊司令長官45
40宇垣 纏連合艦隊参謀長9
40大西 瀧治郎第十一航空艦隊参謀長20
40福留 繁軍令部第一部長8
40山口 多聞第二航空戦隊司令官2
41草鹿 龍之介第一航空艦隊参謀長14
連合艦隊幹部の役職(真珠湾奇襲攻撃時)・海軍兵学校卒業成績

「14位/118名」の成績は、帝国海軍幹部になる道が開かれていました。

草鹿龍之介

俺は帝国海軍の
大幹部になるのだ!

後に、真珠湾奇襲攻撃では、連合艦隊司令部の追加攻撃命令を「一艦隊の参謀長」の分際で却下した草鹿。

あるいは、ミッドウェー海戦では、一方的な思い込みで山口司令官などの進言を退けた草鹿。

後に第一航空艦隊参謀長や連合艦隊参謀長となる草鹿龍之介は、かなり傲岸な正確でした。

数少ない剣術の達人でもあった草鹿は、若い頃に「我が道」を見出したのでしょう。

理系的合理性の発想と航空戦の未来:電探の実用性

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世界で初めて完成した空母:空母 鳳翔(Wikipedia)

そして、1913年に海軍兵学校を卒業した草鹿青年は、「我が道」をさらに極めようと考えました。

当時、極めて優秀な若者が集まり、「一高(東大)以上の優等生」と言われた海兵の卒業生たち。

全ての海兵卒業生たちが、「ある種のプライド」を持っていました。

そして、彼ら海兵卒業生の一人一人が、「砲撃・雷撃などの専門家」になることが求められていました。

草鹿龍之介

さて、私は
何の専門家になるか・・・

その中でも、剣術の達人であった草鹿青年は、

草鹿龍之介

剣術の如く、
「我が道」を極めるのだ!

人一倍、「我が道」を極めることに熱心でした。

一高と海兵という異質な超難関に両方挑み、両方合格した草鹿青年は、特に理系科目が得意でした。

そして、その「理系的合理性」の思考で、「海軍の新たな戦術の方向」を見定めようとした草鹿。

ちょうど、時代は「戦艦から空母へ」の始まりの頃でした。

1922年に、国産空母・鳳翔を進水させる帝国海軍において、「海軍における航空隊」が上昇しました。

草鹿龍之介

これが、
空母・鳳翔か・・・

おそらく、海軍エリートの一人として、空母・鳳翔を早い時期に実際に見た草鹿。

草鹿龍之介

戦艦も強力だが、
空を飛ぶ航空隊の威力が強化された時・・・

草鹿龍之介

その時、航空隊は戦艦の
威力を超えるだろう・・・

当時は、まだまだ「航空隊の爆撃・雷撃を艦船に当てる」のは、「極めて困難」な時代でした。

しかし、何らかの技術革新は「必ず起こる」ことを理解していた草鹿青年は。

草鹿龍之介

技術革新によって、
航空隊の力が増す時代が、必ず来る!

草鹿龍之介

そして、それは近い未来に
来るはずだ!

草鹿龍之介

私は、航空に
「我が道」を見定めよう!

そして、「航空」において帝国海軍の第一人者たることを胸に決めた草鹿。

1924年に海軍大学校に進みました。

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海兵40期の同期:左上から時計回りに大西瀧治郎 航空本部総務部長、宇垣纏 連合艦隊参謀長、山口、福留繁 軍令部第一部長(連合艦隊司令長官 別冊歴史読本 新人物往社,Wikipedia)

海軍大学校同期には、40期の俊英だった山口多聞や福留繁などがいました。

他に、39期も多数いた中、「飛び級気味」でエリート養成機関・海軍大学校に入学した草鹿。

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八木アンテナ(Wikipedia)
草鹿龍之介

これからは、「電探(レーダー)」が
重要になるのでは・・・

草鹿龍之介

だが、まだまだ
電探の実用化は難しいか・・・

この頃にすでに「電探(レーダー)の有用性」を見出していた、草鹿。

帝国海軍幹部A

草鹿は、極めて理系的で、
新たな発想を持っている・・・

草鹿の理系的発想は、帝国海軍において、異色なほど目立っていました。

そして、帝国海軍において、「極めて将来を嘱望される」立場へとなってゆきました。

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