「禁じ手」脱藩によって世界に出た坂本龍馬〜「革命の最前線」走っていた長州へ・山内容堂の大反撃・土佐勤王党の大弾圧〜|龍馬脱藩行6

前回は「同年に土佐藩脱藩した坂本龍馬と中岡慎太郎〜倒幕と討幕の温度差・「坂本脱藩」と「中岡脱藩」・土佐藩と土佐勤王党〜」の話でした。

目次

「革命の最前線」走っていた長州へ

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左上から時計回りに、高杉晋作、坂本龍馬、西郷隆盛、中岡慎太郎(国立国会図書館)

幕末維新には、「風雲児」のような志士たちが多数登場しました。

それらの無数の「風雲児志士」の中でも、最も「風雲児らしい」のが坂本龍馬のイメージです。

坂本龍馬

土佐藩を脱藩して、
長州へゆくぜよ・・・

徳川じだいが260年ほど続いた1860年代、時代が大いに揺れ動く中、

高杉晋作

我が長州では、
奇兵隊を創設する!

高杉晋作

武士階級に関わらず、
皆で戦うのだ!

様々な藩において「革命の気運」が一気に高まる中、「革命の最前線」を走ってい他のが長州藩でした。

中岡慎太郎

私も
土佐藩を脱藩しよう!

坂本龍馬と中岡慎太郎が脱藩した1862年、土佐藩では、「革命の気運」が大弾圧されました。

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土佐藩士・土佐勤王党首領 武市瑞山(半平太)
武市瑞山

土佐藩を挙げて
勤王化するのだ!

土佐藩の志士達のリーダーであった武市瑞山は、「土佐藩丸ごと勤王化」を目指しました。

武市瑞山

そのためには、
手段を問わないのだ!

「土佐藩丸ごと勤王化」の発想は良かったものの、勢い余って参政・吉田東洋を暗殺した武市。

具体的な「暗殺者捕縛」は難しいことが多い「暗殺」。

その一方で、「暗殺の黒幕」は、即判明することが多く、特に動乱期は「明白」でした。

山内容堂の大反撃:土佐勤王党の大弾圧山内容堂の大反撃

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土佐藩主 山内容堂(Wikipedia)
山内容堂

「勤王」は悪くないが、
「反徳川」はあり得ん!

山内容堂

そして、私が可愛がっていた
極めて有能な参政・東洋を暗殺だと・・・

山内容堂

お前達、
いい加減にしろよ!

このような「無法状態」に対して、土佐藩主・容堂が「黙っている」はずはあり得ませんでした。

猛烈な勢いを持っていた土佐勤王党は、京での「天誅事件」にも多数関わりました。

武市瑞山

いけ、いけ!
世を変えるためには、「非常手段」よ!

坂本龍馬

これは、容堂公が
弾圧に来るだろう・・・

「土佐勤王党の大弾圧」を感じた龍馬は、早期に脱藩を決意しました。

この状況に対して、ついに「堪忍袋の緒」をバッサリ切った土佐藩主・山内容堂。

山内容堂

土佐勤王党は、
絶滅する!

山内容堂

藩主である私の
意向に反する武士は不要!

自ら「大人物」を自認していた容堂は、一気に弾圧しました。

武市瑞山

・・・・・

捕縛された武市は長い投獄を経て、切腹に追い込まれました。

そして、土佐勤王党は「破壊された」のでした。

「禁じ手」脱藩によって世界に出た坂本龍馬

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坂本龍馬・脱藩の道:愛媛県河辺町(新建築未来紀行)

土佐から山中の「脱藩行」を必死で、長州に向かった坂本龍馬。

愛媛県川辺町には、「龍馬脱藩行の伝説・伝承の道」があります。

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坂本龍馬・脱藩の道:愛媛県河辺町(新建築未来紀行)

「御幸橋」という、龍馬脱藩ゆかりの木造の橋の近くに、脱藩行が残っていました。

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坂本龍馬・脱藩の道:愛媛県河辺町(新建築未来紀行)

「釘を一つも使用していない」驚愕の「御幸の橋」は、1886年に建築されました。

坂本龍馬が脱藩して24年後であり、当時、最先端の橋でした。

坂本龍馬

とにかく、
長州へゆくしかないぜよ・・・

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坂本龍馬・脱藩の道:愛媛県河辺町(新建築未来紀行)

後世の視点から見れば、「脱藩するしかなかった」坂本龍馬でしたが、

坂本龍馬

私が脱藩すれば、
無国籍となり、大犯罪人ぜよ・・・

坂本龍馬

土佐藩に残った
乙女姉など、皆に迷惑がかかる・・・

坂本龍馬

だが、やるしか
ないぜよ・・・

自ら「禁じ手」に思い切り踏み込んだ坂本龍馬は、一気に飛躍しました。

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坂本龍馬・脱藩の道:愛媛県河辺町(新建築未来紀行)

「道なき道」を進む中、坂本龍馬の胸中には、様々な思いが去来したでしょう。

坂本家に致命的打撃を与え、自分の将来も定かではない状況でした。

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坂本龍馬・脱藩の道:愛媛県河辺町(新建築未来紀行)

当時、優れた剣客であり武士であった坂本龍馬は、足腰が強靭だったでしょう。

それでも、この山中を「隠密で駆け抜ける」のは、想像を超える苦難でした。

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坂本龍馬脱藩之日記念館(新歴史紀行)

なんとか、土佐から伊予の山中を脱し、海を渡った坂本龍馬。

すでに「土佐藩士」ではなく、単なる「脱藩浪人」となっていました。

坂本龍馬

土佐藩から、ではなく、
違う視点から、世を変えるぜよ!

そして、禁じ手を敢えて犯した坂本龍馬は、一気に世界に出てゆきました。

その時の「龍馬の気持ち」が垣間見えるのが、川辺町にある「伝説の龍馬脱藩行」です。

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