沖縄県民に「心から感謝」の無電打った大田司令官〜幕僚と共に最後の時・最終内地決戦の魁となった沖縄と硫黄島・栗林司令官の大奮闘〜|旧海軍司令部壕6・沖縄戦の巨大な爪痕

前回は「「必死」の戦い続けた大田実〜ツルハシで掘り抜いた海軍司令部壕・「想定外」だった帝国陸海軍の異常な抵抗・神風特別攻撃隊と玉砕〜」の話でした。

目次

最終内地決戦の魁となった沖縄と硫黄島:栗林司令官の大奮闘

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旧海軍司令部壕(新歴史紀行)

1945年3月26日から開始した「内地の最終決戦」であった沖縄戦。

この時期、各地で「内地の最終決戦」が米軍との間で行われていました。

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栗林忠道 司令官(Wikipedia)

硫黄島で「絶望的な戦い」が行われたのは、1945年2月19日から3月26日でした。

栗林忠道

遥かに巨大な米国に
ここまで押されては、敗北は確実・・・

栗林忠道

だが、この硫黄島で
米軍に痛恨の打撃を与えるのだ!

米国駐在経験があり、「知米派」だった栗林忠道司令官は、硫黄島で「大奮闘の指揮」を執りました。

米海軍

Iwo-Jimaの
制圧には、5日ほどか・・・

「制圧に5日ほど」を見込んでいた米軍に対して、

栗林忠道

硫黄島の各地に
縦深陣地を作り、米軍を叩く!

栗林司令官率いる帝国軍は、異様なまでの奮闘を続け、米軍に「痛恨を超えた打撃」を与えました。

米海軍

まさか、こんなに
時間がかかるとは・・・

米海軍

そして、まさか、
これほどの死傷者が出るとは・・・

死者負傷者
大日本帝国軍約20,000名1,033名(捕虜)
米軍6,821名21,865名
硫黄島の戦いでの日米軍被害

硫黄島も「内地」であり、内地戦は沖縄より硫黄島が先に行われました。

当時の日本人は、

当時の日本人P

いよいよ、我が大日本帝国の
近くまで米軍が来た・・・

当時の日本人P

そして、沖縄は多数の
日本人が在住している・・・

当時の日本人P

その沖縄に、米軍が
来たからには、本土決戦も間近・・・

このように「本土決戦を強く認識」していたでしょう。

沖縄戦が本格的に開始したのは、硫黄島での戦いが終了した日と同日の1945年3月26日でした。

この「同日」は偶然かも知れませんが、米軍は「一つ一つ戦略的に戦争を進めた」ようにも感じます。

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大田実 沖縄根拠地隊司令官(丸別冊 太平洋戦争証言シリーズ13 最後の戦闘)
大田実

みんな、最後の最後まで
一緒に戦おう!

大田実

この沖縄で、
なんとか米軍を食い止めるのだ!

帝国海軍幕僚A

大田司令官、
我ら皆で戦い抜きましょう!

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旧海軍司令部壕(新歴史紀行)

ブルドーザーなどがなかった大日本帝国において、ツルハシなどで必死に構築した海軍司令部壕。

大田司令官たちが、硫黄島での敗北を認識していたかは不明です。

そもそも、「硫黄島での勝利」はなく「硫黄島での玉砕」が当初からの予定だったので、

大田実

硫黄島でも
皆玉砕したか・・・

「硫黄島の玉砕」を大田司令官たちは「認識していた」と考えます。

大田実

とにかく、ここ沖縄で
出来るだけ米軍を食い止める!

「最終内地決戦」の魁となった沖縄と硫黄島では、「絶望的な大奮闘」が行われました。

沖縄県民に「心から感謝」の無電打った大田司令官:幕僚と共に最後の時

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旧海軍司令部壕(新歴史紀行)
帝国海軍幕僚A

大田司令官、辛いですが、
我らも頑張ります・・・

圧倒的な米軍相手に、「信じられない大奮闘」を続けていた大田司令官たち海軍陸戦隊。

そして、同時に牛島満司令官率いる陸軍も大奮闘を続けていました。

大田実

なんとか、皆で
踏ん張って戦おう!

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沖縄戦で空母から発艦する航空隊(Wikipedia)

帝國陸海軍が死闘を続ける中、米軍は陸と海から大量の将兵が乗り込み続けました。

そして、米軍は戦艦で砲撃を続け、空母から発艦する航空隊で爆撃を続けました。

その状況は、当時の困窮していた大日本帝国から見れば「無尽蔵のように」感じられるレベルでした。

大田実

米軍は叩いても、叩いても
無尽蔵に攻撃してくる・・・

もはや、「物量の比較」から考えると「戦いにならない」状況でした。

その中、

大田実

とにかく、最後まで
戦うのだ!

「帝国海軍陸戦隊のトップ」として、最後の最後まで抵抗を続けた大田司令官たち。

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旧海軍司令部壕(新歴史紀行)

米軍は、沖縄の南方から一気に、大量に攻め込み、

米海軍

とにかく、
早くOkinawaを潰すのだ!

米海軍

そして、Japanの
Kyushuから攻めるのだ!

米軍側も「本土決戦」を迎えることを強く認識していたため、沖縄戦の終結を急ぎました。

米海軍

だが、なぜ、Japaneseたちは
物資も少ないのに、これほど戦えるのだ・・・

米軍の立場から考えると「信じられない」を超えていました。

米海軍

全く、Japaneseの
戦いぶりには理解が出来ない・・・

「理解不能」なほど壮絶な戦いを続けた帝国陸海軍。

1945年3月26日に開始してから、2ヶ月ほど大奮闘を続けました。

帝国海軍幕僚A

大田司令官、
いよいよ我らも・・・

そして、いよいよ「最期の時」を迎える時期になりました。

大田実

ここまで、か・・・
皆、本当によくやってくれた・・・

「自身の最期」を確実に認識した大田司令官。

そして、1945年6月6日には多田海軍次官宛に、「最後のメッセージ」となる無電を打ちました。

その内容は、「沖縄での県民一丸となった大奮闘への感謝」でした。

大田実

沖縄県民
斯ク戦ヘリ・・・

大田実

県民ニ対シ、
後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ・・・

そして、その一週間後の1945年6月13日、最後の時を迎えました。

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旧海軍司令部壕(新歴史紀行)
大田実

みんな、
本当によく戦ってくれた・・・

海軍司令部壕

パァーン!

大田司令官は、この部屋で自決しました。

帝国海軍幕僚A

大田司令官、
我らも続きます!

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旧海軍司令部壕(新歴史紀行)
海軍司令部壕

ダダーン!

大田司令官に続いて、幕僚たちも次々と手榴弾や拳銃で自決しました。

そして、沖縄戦の組織的な戦いは、1945年6月23日に終了しました。

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旧海軍司令部壕(新歴史紀行)

現在の旧海軍司令部壕の内部は、上の地図の通りです。

第二次世界大戦・大東亜戦争・太平洋戦争の末期の日本の状況が、肌で感じられる空間です。

そして、「戦争とは何か」を実感できる貴重な場所・旧海軍司令部壕。

沖縄訪問の際には、ぜひ訪れてください。

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