前回は「圧倒的な大勝利を飾った真珠湾とマレー〜米英を同時に敵に回す「想定外」・「病人」の日米関係を超悲観的に考えていた永野総長〜」の話でした。
ミッドウェー作戦を「やむなく承認した」永野総長の真意:強行した山本長官

1942年6月に惹起したミッドウェー海戦。
大日本帝国海軍が大敗北を喫し、「日米戦の行末を決定づけた海戦」と言われています。

とにかく、ミッドウェーを
叩き、米空母を撃滅する!



戦争は勢いだ!
今の帝国海軍の勢いならば、米軍を撃滅できる!
当時、山本長官率いる連合艦隊司令部が独断で「ミッドウェー海戦」の作戦計画を進めました。



作戦計画を決めるのは、
我が軍令部なのだが・・・
組織 | 職務 | ||
海軍省 | 軍政・人事 | ||
軍令部 | 軍令 | ||
連合艦隊 | 最前線の海軍戦闘部隊 |
帝国海軍では、作戦を決定し軍令を発するのは軍令部の役目でした。
その軍令部トップである軍令部総長だった永野修身は、山本五十六より海兵4期先輩でした。
海兵卒業期 | 職務 | 職務 | ||
28 | 永野 修身 | 軍令部総長 | ||
32 | 嶋田 繁太郎 | 海軍大臣 | ||
32 | 山本 五十六 | 連合艦隊司令長官 |



作戦計画はこっちにお任せ頂いて、
前線をしっかりお願いします!
軍令部No.2の伊藤整一次長もまた、山本長官の「ミッドウェー作戦」に反対しました。



軍令部は、なにがなんでも
ミッドウェー作戦を裁可しないか・・・
ここで山本長官は、「奥の手」を使いました。



ミッドウェー作戦を裁可頂けないなら、
連合艦隊司令長官を辞任します・・・
この「長官辞任作戦」は、山本長官の真意だったか、周囲の幕僚が独断したのかは不明です。
実は、この「長官辞任作戦」は真珠湾奇襲攻撃の際に、山本長官が用いた「奥の手」でした。



・・・・・
困ってしまった伊藤長官。



まあ、山本がそこまで
言うならば・・・



ミッドウェー作戦を
やらせてみようか・・・
ここで、軍令部トップの永野総長がトップダウン式に、山本長官の要望を受け入れた、のが通説です。
「南方資源地帯攻略」という常識的な戦略を持っていた軍令部の方針を「あっさり覆した」永野総長。
永野総長の真意は、なんだったのでしょうか。
超強硬派だった永野修身:蘭印・仏印への進駐と基地


ミッドウェー作戦を「やむなく裁可」したと言われる永野軍令部総長。
3年ほど軍令部総長を務めた永野は、第二次世界大戦の主要な時期は、ずっと海軍のトップでした。
そして、戦後はA級戦犯となった永野修身。
永野がミッドウェーに関して、どのように考えていたのかを、具体的に彼の発言から追いかけてみます。
対米戦開始前に針を戻し、「大東亜戦争全史」(服部卓四郎)の記録から、永野の発言を見てみましょう。


当時、大日本帝国では、天皇=大元帥を輔弼する機関として政府と大本営が別々にありました。
米英独ソなどと比較すると、この「バラバラな体制」だったと言える大日本帝国。
実際は、「バラバラに活動していた」はずはなく、相互で意思疎通を図っていました。


対米戦開始前には、「連絡懇談会」という組織によって、大本営と政府の意見調整が行われていました。
時は、日米関係が急速に悪化していた時期で、「南部仏印への進駐」が具体的に検討されていました。
1941年6月11日における連絡会議では、松岡洋右外相、杉山元参謀総長、永野修身総長らが協議しました。



これまで、蘭印は日本を
侮辱している!



交渉を打ち切るにあたり、
少し強い態度が必要と思う。



統帥部の
態度を承りたい。
当時、超強硬派として知られた松岡外相は「力による外交」を信念としていました。



蘭印一国なら良いが、
背後に英米あるが故、重大な事態を惹起する・・・



交渉は一旦打ち切り、
少し様子を見ては・・・
帝国海軍と比較して、「強気一辺倒」とも言える帝国陸軍ですが、比較的落ち着いていました。
それは、杉山元の性格にもよりますが、「様子を見る」という軍人にしては「大人しめ」な姿勢でした。
ある意味では、この杉山参謀総長の姿勢は「常識的」でした。
そして、帝国陸軍は「英米戦を積極的には望んではいなかった」ようです。



仏印に対しては、
ドイツを通して、ヴィシー政権と交渉したい・・・



それは外相の
思う通りに・・・



仏印ばかりでなく、タイにも
兵力をいれて・・・



ビルマ、マレーに影響力を及ぼせば、
英国は必ず手をだすだろう・・・



こちらが強ければ、先方は
手をつけぬと思うが・・・



外交上、ここでお仕舞いにしたいが、
統帥部が不適というなら、やらぬ・・・
松岡外相と杉山参謀総長で話していたのは、蘭印・仏印進駐は主に陸軍管轄だからでした。
ここで、海軍の永野軍令部総長が割って入りました。



仏印、タイに軍事基地を作ることは
必要である!



これを妨害するものは
断固として打ってよろしい!



叩く必要ある場合には
叩く!



!!!
杉山参謀総長が驚くほど、超強硬発言をした永野軍令部総長。
どうやら、永野総長は、かなり好戦的な人物だったようです。
「ミッドウェー」を「やむなく裁可した」と言われる永野軍令部総長。
その永野軍令部総長の実像を、次回も考えてみます。