前回は「緒戦で大勝利しすぎた大日本帝国海軍と連合艦隊〜「無用」と誤解された戦艦大和と武蔵の運命・航空隊の傘と戦艦〜」の話でした。
圧倒的な大勝利を飾った真珠湾とマレー:米英を同時に敵に回す「想定外」
戦略的には大失敗だったとはいえ、戦術的には大成功だった真珠湾奇襲攻撃。
米空母を討ち漏らしたとはいえ、多数の戦艦等を撃沈・着底させ、航空機にも大損害を与えました。
2300名余りの米軍兵士が戦死し、70名ほどの米民間人が亡くなり、極めて甚大な被害を受けた米軍。
この時の大日本帝国海軍の戦死者は64名と言われ、「大戦果」であったことは間違いない事実でした。
ついで、英海軍とのマレー沖海戦では、「大英帝国の戦艦大和」である戦艦プリンス・オブ・ウェールズを撃沈。
米英海軍に対して、
ここまで大勝利が続くとは・・・
万全の手を打っていたが、流石に私も
考えもしなかった・・・
真珠湾奇襲攻撃、マレー沖海戦のいずれも、大日本帝国海軍の航空隊の強力な打撃力が根幹にありました。
なかでも、当時、零戦は米英海軍の戦闘機に対して、圧倒的な強さを誇っていました。
それは、零戦の性能が極めて高かったことに加え、
俺たちは、支那事変から
ずっと航空隊で戦ってきた!
日中戦争などで搭乗員たちが大ベテランだったことによります。
日米、日英関係ともに「ギクシャクし始めた」のは1939年頃からでした。
そして、この頃に海軍大臣であった米内光政は、海軍の責任者として、
米内さん・・・
米英と戦争になったら、海軍は勝てますか?
「海軍は勝てますか?」というシンプルな質問を、五相会議で問われました。
勝てません!
この質問に対して、米内海軍大臣は「勝てない」と即答しました。
さらに加えて、
そもそも、帝国海軍は米英を向こうにまわして
戦争するようには、つくられておりません!
米内海相は「世界二強である米英を同時に敵に回す」ことは、「完全な想定外」であることを明言しました。
「そもそも論」として、「米英海軍と同時に戦うのは、あり得ない」事態だったのでした。
それにも関わらず、「米英海軍と同時に戦う」ことを選択したのが大日本帝国であり、帝国陸海軍でした。
「病人」の日米関係を超悲観的に考えていた永野総長
真珠湾奇襲攻撃の時点では、海軍大臣は、山本五十六と同期の嶋田繁太郎でした。
とてつもない
大勝利を飾ったな・・・
真珠湾奇襲攻撃の直前に海軍大臣に就任した嶋田繁太郎。
真珠湾奇襲攻撃の一月半前ほどに誕生した、東條英機新内閣で、海軍大臣となりました。
横須賀鎮守府司令長官など、海軍の重役を務めてきた嶋田ですが、
状況は、よくは
分かってないが・・・
まあ、山本が司令長官だから、
大丈夫だろう・・・
海兵同期の山本五十六とは、比較的良好な関係であった嶋田繁太郎は、写真の通り温厚な人物でした。
海軍兵学校卒業期 | 名前 | 役職 |
28 | 永野 修身 | 軍令部総長 |
29 | 米内 光政 | 元首相・元海相 |
32 | 山本 五十六 | 連合艦隊司令長官 |
32 | 嶋田 繁太郎 | 海軍大臣 |
当時の日米交渉経緯や真珠湾奇襲攻撃の計画などのトップシークレットに関して、嶋田はよく知らない立場でした。
ワシは天才
だからな・・・
「自称天才」を名乗っていた永野修身は海軍の大幹部であり、大本営側の総責任者でした。
嶋田繁太郎は永野の4期後輩であり、自己主張が少なかったこともあり、
ワシが帝国海軍の
代表みたいな感じだな・・・
永野が名実ともに「海軍のトップ」でした。
1941年には、対英米戦に関する議論を中心に、御前会議が四度開かれました。
それ以外にも、参謀総長と軍令部総長は度々昭和天皇から呼び出しを受けました。
米英と戦争して、
海軍は勝てるのか?
昭和天皇から「米英と戦う」見通しを問われた大本営の陸軍・参謀総長と海軍・軍令部総長。
天皇からの「御下問」に対し、永野総長は、
今日の日米関係を病人に
例えれば・・・
手術をするか、しないかの
瀬戸際に来ております・・・
手術をしないで、このままにしておけば、
だんだんと衰弱してしまう恐れがあります・・・
このように「日米関係」を「重大な病人」に例えた永野総長。
手術をすれば、非常に危険があるが、
助かる見込みがないでもないです。
つまり、日米関係は「すでに破綻している」とハッキリ明言しました。
さらに、米国と戦争したら「勝つ見込みがないでもない」と「勝つ見込みはゼロではない」と断言した永野。
統帥部としては、あくまで外交交渉の成立を希望しますが、
不成立の場合は・・・
思い切って手術をしなければならんと、
存じます・・・
こう昭和天皇に明言した永野総長もまた、内心は、
米国海軍に勝つ見込みは
ほとんどない・・・
米国と英国の海軍を「同時に敵に回す」ことが、敗北につながることをハッキリ認識していました。
「敗北の可能性が高いのが現実」であった米英戦が始まり、真珠湾・マレーの大勝利を受けた永野は、
よっしゃ、
これは我が連合艦隊は、結構いけるな!
一気に自信をつけたでしょう。
元々、ちょっと調子に乗りやすい性格であった永野は大いに強気になり、
こうなったら、とことんやるしか
ないな!
確かに・・・山本に
全てを任せましょう!
嶋田繁太郎海相もまた、「永野と山本についてゆく」感じでした。
そして、ついに「スーパー超弩級戦艦」大和が完成・進水することになりました。
快進撃、ならぬ「大会進撃」を続けていた大日本帝国海軍に、スーパー戦艦の大和が加わることになりました。