前回は「長宗我部+香宗我部+吉良の合体〜弱小国であった土佐・土佐の小さな勢力だった長宗我部家・分裂して弱体化した宗我部家〜」の話でした。
「長宗我部の合体」と「毛利の合体」の類似点と相違点

戦国の時代には、キラ星のごとく多数の人物が登場しました。
・戦国時代:1550年〜1615年頃(一部、江戸時代)
・幕末維新:1840年〜1870年頃
・第二次世界大戦:1938年〜1945年頃
日本の「歴史好き・ファン」が好きな時代は、概ね上の三つの時代です。
筆者は小学生の頃から歴史が好きでしたが、最初は戦国時代への興味が最も強かったです。
「戦国から歴史の世界に入る」人は多いと思われます。
中には「幕末維新から歴史の世界へ」の人もいらっしゃると思いますが、「戦国から」が大多数です。
戦国時代の多数の大名の中で、「四国の覇王」であるのに、知名度が低い長宗我部元親。
その理由は、「四国での戦い」において、強力な大名との戦いが少なかったこともあります。
長宗我部元親この長宗我部元親は、
四国全土を制圧した!



だが、その道のりは
とても大変なものだった!


高知県中南部にある長宗我部元親像の目前には、当時の土佐の勢力図があります。


「土佐の一角を占めていた」に過ぎない土豪・国人だった長宗我部氏。



香宗我部と吉良と
合体したのだ!
長宗我部国親の次男・親貞は、吉良家へゆき、吉良親貞となりました。
長宗我部国親の三男・親泰は、香宗我部家へゆき、香宗我部親泰となりました。
長宗我部元親にとって幸運であったのは、彼ら弟たちが、有能な武将であったことでした。
ある意味で、毛利家の「毛利+吉川+小早川」と類似性がある「長宗我部+香宗我部+吉良」の合体。
元々は、「曽我部」氏だったのが、「長宗我部と香宗我部に分裂」した結果でした。
この点では、「毛利家の合体」と「長宗我部の合体」は異なる点があります。
奇跡だった長宗我部元親の四国制覇:「海に守られた国」土佐


土佐中部で生まれた「長宗我部の合体」は、周囲の国人を驚かせたでしょう。



ここから、長宗我部は
大きくなってゆくのだ!
「長宗我部+香宗我部+吉良」は力を合わせて、周囲の国人たちを合戦で破り巨大化しました。



我が土佐には
一条様がおられる・・・
| ランク | 家格 | 家 |
| 1 | 摂家 | 近衛・一条・九条・鷹司・二条 |
| 2 | 清華家 | 三条・西園寺・徳大寺・久我・花山院・大炊御門・菊亭 |
| 3 | 大臣家 | 正親町三条・三条西・中院 |
| 4 | 羽林家 | 姉小路・冷泉・四条・正親町・持明院・ 今城・堀河・岩倉・綾小路・久世など |
| 5 | 名家 | 烏丸・坊城・梅小路・日野・北小路など |
| 6 | 半家 | 竹内(清和源氏)・西洞院家(桓武平氏)など |
五摂家No.2であり続けた一条家は、筆頭の近衛家より「やや落ちる」ものの圧倒的な家柄でした。



一条様とは
うまく協調して・・・
そして、長宗我部元親は、うまく「一条の力」を利用しながら、土佐を統一しました。





土佐を統一した次は
伊予か阿波だ・・・
土佐に隣接していた国は、当時は伊予と阿波のみでした。
そして、土佐は南と東と西が海に囲まれた、特殊な国でした。


当時は、上のような正確な地図はありませんでしたが、土佐の位置は分かっていたと思われます。



伊予には河野、
阿波には三好か・・・
戦国大名の中で「弱小大名」と捉えられがちな、伊予の河野氏。
実は、河野氏は、かなりの歴史を持つ名門であり、伊予にかなりの力を持っていました。
| 国名 | 石高 |
| 伊予 | 36万6200石 |
| 阿波 | 18万3500石 |
| 讃岐 | 12万6200石 |
| 土佐 | 9万8200石 |
| 合計 | 77万4100石 |
しかも、伊予は四国において、異様なほど石高が大きいエリアでした。
伊予一国で、四国の四カ国の半分弱の生産力がありました。
そして、阿波の三好は、元親が土佐を制圧した頃には、弱体化していた存在でした。



よしっ!
まずは阿波制圧だ!
こうして、阿波制圧に乗り出した元親。
おそらく、伊予制圧も同時並行で進めていたと思われます。
生産力が小さな「四国の南の端」だった土佐国。
ただし、「攻める側」の立場からすれば、「南から北上すれば良い」点はメリットでした。
海に囲まれていた土佐は、当時は土佐の東と土佐の西の水運はそれほど盛んではありませんでした。
さらに、土佐の南は、水運が生まれたのは江戸時代以降であり、土佐は「海に守られた国」でした。


そして、伊予を制圧して、瀬戸内海に乗り出した長宗我部元親。



もうすぐ
四国制覇だ!
土佐の国人だった長宗我部家は、大した家柄でもなく、弱小勢力でした。
さらに、「一条家」という強力な勢力も存在した土佐。
それにも関わらず、土佐一国を制圧しただけでも、極めて異例なことでした。



よしっ!
四国を統一した!
長宗我部元親の四国制覇は、「奇跡だった」と表現しても良いでしょう。





元親よ・・・
ここまでだ!
ところが、少しタイミングが悪く、真っ先に大勢力となった羽柴(豊臣)秀吉に睨まれました。
そのため、「ほんのわずかな期間」のみ四国の覇王となった元親。
悲運の武将でしたが、その能力は卓越していたのは事実であり、戦国有数の名将でした。
戦国の世において、様々な大名と武将が登場した近畿・東海・甲信・北陸・九州よりやや地味だった四国。
その四国において、確かに長宗我部元親は巨大な光を放ちました。
小さな勢力から出発して、一つの地域の覇王となった巨大な光、を。

