坂本龍馬の「通りし道」の伝説〜「龍馬」ではなく「竜馬」の謎・坂本龍馬の「脱藩」と発想の大飛躍・封建制度における幕臣と藩士〜|龍馬脱藩行4

前回は「無国籍となった坂本龍馬〜封建制度における「脱藩」の意味・「道なき道」を切り拓いて歩いた伊予山中〜」の話でした。

目次

坂本龍馬の「脱藩」と発想の大飛躍:封建制度における幕臣と藩士

New Historical Voyage
将軍家茂と補佐体制:左上から時計回りに、将軍 徳川家茂、将軍後見職 一橋慶喜、政事総裁職 松平慶永、京都守護職 松平容保 (Wikipedia)

後世の視点から見れば、「幕末」と呼ばれる1860年代。

それは、あくまで「未来から見た過去」の視点であり、1860年代初期は「徳川の時代」が続いていました。

病弱であったものの第十四代将軍・徳川家茂が大君として、国家を統治していた時代でした。

新歴史紀行
江戸中心の日本列島(新歴史紀行)

天子(天皇)が居続けた京は、事実上の日本の首都でした。

その一方で、徳川の時代が250年以上続いた当時は、「江戸が日本の中心」となっていました。

新歴史紀行
左上から時計回りに木戸孝允、坂本龍馬、西郷隆盛、中岡慎太郎(国立国会図書館)

そして、幕末に向かう時代に土佐藩で生誕した坂本龍馬。

坂本龍馬

土佐藩士
坂本龍馬ぜよ!

下士とは言え、曲がりなりにも土佐藩士であった坂本龍馬。

龍馬は1862年、27歳頃まで「土佐藩士であり続けた」のでした。

名前生年所属
大村 益次郎1825長州
西郷 隆盛1827薩摩
大久保 利通1830薩摩
木戸 孝允1833長州
坂本 龍馬1835土佐
中岡 慎太郎1838土佐
高杉 晋作1839長州
久坂 玄瑞1840長州
幕末維新の志士たちの生年

「士農工商」の時代であり、「武士が頂点に立っている」価値観であった封建制度の時代。

そして、「武士であること」の保証をしていたのが、幕府または各藩でした。

New Historical Voyage
幕末の優れた幕臣たち:左上から時計回りに、勝海舟、川路聖謨、榎本武揚、小栗忠順(Wikipedia)

幕臣は「幕府が身元保障する」ことで成立し、幕臣・旗本は各大名と同格でした。

勝麟太郎

私は
幕臣・勝麟太郎だ!

後に「龍馬の詩昇格」となる勝海舟は、幕臣の中でも出世頭でありました。

このような身分秩序の中、

坂本龍馬

私は土佐藩を脱藩して、
土佐藩士を辞めるぜよ!

土佐藩を脱藩して「土佐藩士を辞める」決断をした坂本龍馬。

つまり、江戸時代の身分秩序において「武士でなくなり、身元保証を拒否する」状況に自らを追い込んだ龍馬。

現代の感覚で見れば、龍馬は「無国籍」同然の立場となってしまいました。

その決断は極めて異質であり、発想の大飛躍でした。

坂本竜馬の「通りし道」の伝説:「龍馬」ではなく「龍馬」の謎

Ne Historical Voyage
坂本龍馬脱藩之日記念館(新歴史紀行)

そして、大きく飛躍した発想を実際に実行した龍馬。

坂本龍馬

土佐藩を脱藩して、
土佐藩から脱出する!

上の地図を見ると、「逃避行の最終地点」下関まで、ほぼ最短ルートで到達しています。

公式記録がなく、多数の伝説がある「龍馬脱藩行」。

そのプロセスにおいて、当時の伊予(愛媛県」の山中を通ったのは間違いないです。

New Architectural Voyage
坂本龍馬・脱藩の道:愛媛県河辺町(新建築未来紀行)

数ある「龍馬脱藩の道」の中のいくつかが、愛媛県川辺町に残っています。

実際に行ってみましたが、完全な山道であり、途中からは進むのが困難です。

New Architectural Voyage
坂本龍馬・脱藩の道:愛媛県河辺町(新建築未来紀行)

「坂本竜馬の通りし道」という碑が立っていますが、

龍馬の道の碑

坂本竜馬が、
この辺りを通ったはずです・・・

龍馬がこの周辺を「通ったはず」という伝承が伝わるのみで、詳細は不明です。

ここで、少し気になるのは「龍馬」ではなく「竜馬」である点です。

単なる「略字だから同じ」かもしれませんが、正式には「龍馬」であるべきです。

この碑が建立された時期にもよりますが、気になるところです。

New Architectural Voyage
坂本龍馬・脱藩の道:愛媛県河辺町(新建築未来紀行)

まさに「道なき道」であり、行き止まりを戻って見ると、石段がありました。

この石段を上がると少し視野が開けます。

筆者が訪問したのは真昼でしたが、「脱藩行」では夜の時間も多数あったはずです。

坂本龍馬

長州の
方向はどこぜよ・・・

坂本龍馬

星空の感じから
こっちのはずぜよ・・・

真っ暗な「道なき道」を突き進んだ坂本龍馬。

ここで碑が「龍馬」ではなく「竜馬」としているのは、その「謎」を示していると感じました。

龍馬の脱藩行の経路が不明であり、一つの伝承に過ぎない「大きな謎」であることを。

次回は上記リンクです。

New Architectural Voyage

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

目次