前回は「五角形断面「武者窓」と鉄砲の広い視野〜コストと限られた細かな配慮・幕府隠密「宇和島藩の堀は四角形」誤報告の謎・10万石大名の実力〜」の話でした。
「山脈の様に」島が連なる瀬戸内海:「島国・日本」を実感する宇和海

「現存十二天守」の一つであり、大変貴重な城郭建築である宇和島城。

海に面し、小規模ながら優美な建築である宇和島城は、ディテールが際立っています。
上の写真の通り、窓の格子は「五角形平面の武者窓」であり、籠城戦に備えたデザインでした。

続いて、上へ登ってゆくと、最上階に到達し、瀬戸内海・宇和海を臨むことが出来ます。
私たちの住む日本は「島国」と表現されることが多いです。
住む環境によりますが、例えば、東京に住んでいると、なかなか「島国」を感じることはありません。
或いは、京都や大阪にいても「島国」と思うことは、少ないです。
宇和島城から海を見ると、まさに「島国」であることを大いに実感できます。
瀬戸内海には多数の島があり、上の写真の通り、小さな島が山脈のように連なります。
「山の上の建築」にこだわった宇和島伊達藩:難事業の天守閣建築

そして、優美な宇和海の風景を楽しんで、天守閣を後にしました。
改めて、三層の小ぶりな天守閣を見ると、宇和島・伊達藩の精神を感じることが出来ます。

天守閣としては、実に小規模ですが、上の写真を見ても「武者窓のデザイン」が感じられます。
小さいながらも、見れば見るほど、詳細かつ精緻な設計であることが分かります。

今度は、また違う方向から宇和島城の天守閣を見てみましょう。
ちょうど、近くの樹木と一体となった風景となり、「ほのぼのした雰囲気」です。

そして、延々と登ってきた宇和島城の城門へ改めて降りてゆきます。
不思議なことに、登ってきた時とは、また違った感慨を感じます。

そして、登ってきた時と同様に、山道のようなルートを降りてゆきます。
こうして降りてゆくと、あの小高いところに、天守閣を築くのは実に大変な建築工事と感じます。
様々な重機が揃っている現代でも、あの天守閣を建築するのは大変な難事業に感じます。
そもそも、建材を運ぶだけでも大変です。
そして、これらの山道を保存することを考えると、「人力による運搬」となります。

そして、山道の所々に残っている石垣たち。
登る時も、これらの石垣を見ましたが、「天守閣に登った後」に見ると、大いなる感慨を感じます。
天守閣建築も大変な難事業ですが、これらの中腹の石垣の建築も難事業です。
藤堂高虎が建築した宇和島城は、1649年の大地震で大きく破損しました。
そして、宇和島・伊達家が全面的に建築し直しました。
そもそも、江戸時代の「平和な時代」に、地震で大ダメージを受けた宇和島城。
当時は、「一国一城令」によって、各藩は「城は一つ」でした。
そのため、山の上だった宇和島城を移転する判断を下しても良かった宇和島藩。
ところが、伊達・宇和島藩は、小高い山の宇和島城にこだわり続けました。
美しい宇和海を臨むと、伊達・宇和島藩の決断した背景を感じることが出来ます。
優美な建築であり、貴重な城郭建築である宇和島城。
四国訪問の際は、ぜひお立ち寄りください。
