前回は「明智光秀「本能寺動員兵力」の謎〜フロイス「七、八千」vs「一万三千」・数量の整合性が高いフロイスの記述・確実で合理的な西洋的視点〜」の話でした。
「明智光秀の野望」が最大根拠:誰一人考えもしなかった「明智謀反」

上の「日本史」の原書を見ると、フロイスの緻密な描写がありありと伺えます。
粛々と、淡々と、そして時には強い感情を込めて、当時の日本の歴史を綴ったフロイス。
Froisそして兵士を率いて都から
五里離れた亀山と称する城に向かった。



従軍の兵士たちは、毛利との戦いに赴くのに
通らねばならぬ道ではないことに驚いたが・・・



抜け目のない彼は、その時まで
何びとにも自らの決心を打ち明けておらず・・・



かような無謀な企てが彼にあることを
考えるものは一人としていなかった。
このフロイスの描写も極めて特徴的です。
「誰一人光秀の謀反を考えなかった」と、英語などで見受けられる「Nobody・・・」的表現です。
この「誰一人」という表現は、日本語にもありますが、英語などと比較すると少ない傾向があります。


フロイスの記述の通り、まさに「光秀謀反」は「誰一人考えもしなかった」異常事態でした。



聖体の祝日の後の
水曜日の夜・・・



同城に軍勢が集結していた時、
彼は最も信頼していた部下の中から四名の指揮官を呼び・・・



彼らに対し、短く
事情を説明した。
ここで、フロイスは「指揮官の名前」を記述していませんが、信長公記と一致します。



とりわけ、彼は自らを蹶起させるやむを得ぬ
事情と有力な理由があったので・・・



信長とその長男を過つことなく
殺害し・・・



自らが天下の主になる決意で
あることを言い渡した。





この明智光秀が
天下の主になるのだ!
このように光秀が、明智秀満・斎藤利三らに「言い渡した」と記述したフロイス。
本能寺の変の理由は諸説あり、昔から様々な説が出ました。
光秀怨恨説、足利義昭黒幕説、羽柴秀吉黒幕説など、多種多様な説が言われ続けています。
フロイスの記述によると、とにかく「明智光秀の野望」が本能寺の変の理由です。
筆者も、この「明智光秀の野望」こそが、本能寺の変の本質と考えます。
「茫然自失+焦慮の色」だった明智重臣:「思い留まらせる」は不可能


応仁の乱から、戦国時代にかけて荒廃していた京都。
そして、1568年の信長上洛から、一気に復興に向かっていた京都。
「本能寺」当時の京都は、現代と比較すると小さな都市でしたが、静謐な「日本の都」でした。
光秀が「初めて一国一城の主」となった坂本城は、琵琶湖の河畔にありました。
安土から琵琶湖を眺めながら、あるいは、琵琶湖を通って、亀山城に向かった光秀。



そして、そのために最良の時と、
この難渋にして困難な仕事に・・・



願ってもない好機が
到来していることを明らかにした。
フロイスは、光秀が、



願ってもない好機が
到来しているのだ!
こう言った、と記述しています。
まさに「光秀が一方的に謀反を企てた」と記述するフロイス。



すなわち
・・・



信長は兵力を
伴わずに都に滞在しており・・・



かような(謀反に備えるような)
ことは遠く思い及ばぬ状況にあり・・・



兵力を有する主将たちは
毛利との戦争に出動し・・・



さらに彼の三男は一万三千、
ないし一万四千の兵を率いて・・・



四国(と称する四カ国)を
征服するために出発している。



かかる幸運に際しては、
遅延だけが考えられる心配の種となりうるであろう。



すでに危険をお前たち(家臣たち)に託し、
この計画を明白に打ち明けたからには・・・



お前たち(彼ら)に与えられるべき報酬は、
特にお前たちから期待される勲功と強力に全て準じ・・・



対応したものに
なるであろう。



と
語った。
ここでは、フロイスが「フロイスの視点から見た光秀の言葉」を「光秀の視点」に直しました。
そのため、「当時の光秀が言った」にしては、幾分妙な感じにも聞こえます。
英語・欧州語のような「明確な理由づけ」が行われており、日本語的な曖昧さがありません。
この辺りは、「フロイスの推測」を出ることはなさそうですが、的確と考えます。



一同は呆然自失したように
なり・・・



一方、この企画の重大さと
危険の切迫を知り・・・



他面、話が終わると、彼に
思い留まらせることも・・



まさにまた、彼に従うのを
拒否することももはや不可能であるのを見・・・



感じている焦慮の色をありありと
浮かべ・・・



返答に先立って、互いに
顔を見合わせるばかりであったが・・・



そこは果敢で勇気のある
日本人のことなので・・・



すでに彼がこの企てを決行する意思を
あれほどまで固めているからには・・・



それに従うほかなく、
全員挙げて彼への忠誠を示し・・・



生命を捧げる覚悟である、
と答えた。





・・・・・
光秀が「最初に謀反を打ち明ける人間」であるはずの、明智秀満。
秀満は、光秀同様謎の多い人物ですが、元々は明智家の子飼いの重臣でした。
「光秀の従兄弟」説もあり、「光秀の娘婿」の説もあります。
いずれにしても、そもそも「従兄弟」と言っても、当時は戸籍の管理も現代と異なり、曖昧でした。
筆者は、「光秀の従兄弟」までいかないまでも、「明智家に縁がある」程度はあったと考えます。
いずれにしても、「明智」が名字であり、「秀」の字も共通する秀満。
光秀が、「偏諱」のような形式で「一字を与えた」のは明白でした。
その秀満もまた「同時に、直前に光秀から謀反を打ち明けられた」と、フロイスは記述しています。



殿(光秀)に、
生命を捧げる覚悟であります!
そして、秀満もまた、こう言わざるを得ない状況でした。
まさに、フロイスが言う通り「誰一人考えもしなかった」、信じられない事態が「本能寺」でした。

