勅命で決した「島津久光vs大久保利通」〜上聞に達させた仲介役伊藤・大久保利通の絶筆「伊藤博文への手紙」・極めて丁重な大久保の言葉〜|伊藤公直話13・エピソード

前回は「「部下の言うとおり判子」しなかった大久保〜無能官吏一掃と薩長閥・佐々木高行「大久保も侍補兼務」要請・若すぎる明治天皇を養育する侍補〜」の話でした。

目次

大久保利通の絶筆「伊藤博文への手紙」:極めて丁重な大久保の言葉

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侍補 佐々木高行(Wikipedia)
佐々木高行

侍補ばかりでは、
君徳の培養に不足であるから・・・

佐々木高行

どうか大久保公にも宮内省の方を兼ねて、
君側の方に尽力するように解いてくれんか。

当時、大久保利通は「内務卿=事実上の総理大臣」として、極めて忙しい状況でした。

そのことをよく理解しているはずの佐々木高行からも、「宮内省も兼ねる」ことを要請される大久保。

伊藤博文

という話をしているうちに、
大久保公から手紙が来た。

とにかく、「大久保なしでは動きが遅い、動かない」のが、当時の明治政府の状況でした。

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大久保利通 内務卿(国立国会図書館)
大久保利通

今から自分はすぐ参朝するから、
君もすぐ来てくれ。

伊藤博文

と言う
文意である。

伊藤博文

なんでも殺される
わずか数分前に書かれたものだ。

間もなく、大久保利通が暗殺される時点で、大久保から手紙を受け取った伊藤博文。

伊藤博文

それから予は、二人に断って
出勤した。

どうやら、伊藤は佐々木高行と高崎正風の「大久保宮内省入り」を却下したようです。

伊藤博文

赤坂の方から
参内する。

伊藤博文

公は紀尾井坂から
行かれた。

伊藤博文

内閣に
出ると、

日本政府役人A

凶変を知っているか。
今、大久保公が殺された!

伊藤博文

ということで
あった。

伊藤博文

実に意外で
残念千万のことであった。

伊藤博文

この時、公が予に送られた手紙は
思いも寄らぬ公の絶筆となった。

伊藤博文

これが、
その手紙である、

大久保利通

昨日御約束申し上げ置き候通り、
大熊にも八時より参内の約束いたし置き候付・・・

大久保利通

御多忙と存候得共、暫時御参朝下さるよう
お願い奉り、この段至急 早々。

大久保利通

五月十四日、 利通
伊藤殿。

立場名前生年出身
正使岩倉具視1825公家
副使大久保利通1830薩摩
木戸孝允1833長州
山口尚芳1839肥前
伊藤博文1841長州
岩倉使節団:正使と副使(年齢順)

この手紙を読むと、大久保利通が後輩である伊藤博文に対して、実に丁寧な言葉遣いです。

これは、大久保の性格もあると思います。

最大実力者・大久保利通は、様々な人に丁寧に、丁重に対応していたのが分かります。

勅命で決した「島津久光vs大久保利通」:上聞に達させた仲介役・伊藤

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小松綠「伊藤公直話」(新歴史紀行)
伊藤博文

大阪会議以後、島津公と
大久保公は不破になった。

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左大臣・元薩摩国父 島津久光(国立国会図書館)

「島津公」とは、元薩摩島津藩最大の実力者であり、「事実上の藩主」だった島津久光です。

幕末維新に、強力な影響力を与えた島津久光。

島津久光の動向次第で、幕末維新は大きく変わるほどの影響力を持っていました。

そして、元々は「島津久光の子飼いの側近」だった大久保利通。

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大久保一蔵(利通):志士の頃(Wikipedia)
島津久光

一蔵(大久保)・・・
お前は、元は私の家臣だよな・・・

大久保に対しては、生涯「私の家臣」という姿勢だった島津久光。

「家臣だった大久保利通」が、自分を遥かに超えて「日本国の事実上の内閣総理大臣」となりました。

もともと複雑な性格であった島津久光は、面白くなく、度々衝突しました。

伊藤博文

島津公は大久保公を
退けようとして、

島津久光

その事が用いられなければ、
辞職する。

伊藤博文

と、言い出された。
そこで、予は島津公の所を訪ねて・・・

伊藤博文

どうも、大久保を退けるという
御議論だそうですが・・・

伊藤博文

大久保を退けて
どうなさるお積もりです?

島津久光

君は薩摩の事情を
知らぬから、そんなことを言うが・・・

島津久光

折角の調停ながら、
それは聴かれぬ。

伊藤博文

それはどうも怪しからぬ事を
仰る。

伊藤博文

今日私は薩摩の事情を承りに参った
次第ではありませぬ。

伊藤博文

国家の為に、大臣の進退について、
御相談に参ったのである。

島津久光

それはそうでもあろうが、
俺も人の進退のことを言い出しておいて・・・

島津久光

毎日登閣して、
顔を見るわけには行かぬ。

伊藤博文

それなら、参議だけ
やめさせたら良いでしょう。

島津久光

それなら
良い。

とにかく、「自分の家臣」であった大久保を「なんとしても辞めさせたい」島津久光。

この久光の子どもっぽい性格が、幕末維新から明治期にかけて、日本の政治に大きな影響を与えました。

伊藤博文

という訳で、
予は大久保公に話した。

伊藤博文

すると
大久保公は、

新歴史紀行
内務卿 大久保利通(国立国会図書館)
大久保利通

どうも外の事と違って、
賄賂を取った、と言われては、終始頭が上がらぬ。

大久保利通

君の親切はわかっているが、
自分の去就だけは、自分で決しさせてくれ。

伊藤博文

と言われる。
それも尤もの事である。

伊藤博文

さあ、それから、島津公も出ぬ、
岩倉公も退くという次第で・・・

伊藤博文

三条公も大久保公も
困りきった。

伊藤博文

そこで、
予は、

伊藤博文

よろしい。島津公の事は私に存じ寄りも
あるから、お任せなさい。

伊藤博文

と言って、それから色々と執りなしている
中に、このことが上聞に達した。

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明治天皇(Wikipedia)

「島津久光vs大久保利通」問題が、三条実美・岩倉具視まで飛び火して、明治天皇に聞こえました。

明治天皇

・・・・・

伊藤博文

勅命を
以て・・・

明治天皇

この国家多事の際、たとえ病気でも
勉強して出庁せよ!

伊藤博文

という御沙汰が
降った。

島津久光

・・・・・

伊藤博文

それで島津公も出れば、
岩倉公も出る・・・

伊藤博文

大久保公も留任すると
いうことになった。

最終的には、「島津久光vs大久保利通」問題は、明治天皇の「勅命」という大事で決しました。

おそらく「上聞に達させた」のは伊藤博文自身であり、いかにも伊藤らしいです。

とにかく、「明治新政府の瓦解」を未然に防いだ伊藤は、ここで大きく株を上げたのでした。

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