前回は「時には憂鬱になった信長〜リアリティあり過ぎる描写・16世紀「二大覇権国」のポルトガル・「世界分割」トルデシリャス条約〜」の話でした。
抜群だったイエズス会の情報収集能力:緻密な勢力図の把握

ルイス・フロイス「日本史」は、様々な事実を「フロイスの視点」で記載しています。
この「フロイスの視点」が、とても面白いと同時に、注意が必要な点です。
あまりにフロイスの主観が出過ぎているので、その時点のフロイスと対象の人物の関係が重要です。
Frois彼は好戦的で傲岸不遜で
あったから・・・



すでに用意してあった
短刀をつかみ・・・



直ちに兄を
殺した・・・
信長が、反乱を起こし続けた弟・信行を殺害した事実を、かなりのリアリティーで描写しています。


そして、清洲城において、尾張南部を確実に掌握しつつあった若き信長。



彼は織田家を掌握した後、
同国の三分の一を所有する・・・



他の一人の殿に対して
戦いを行い・・・



容易に彼を追放して
尾張の絶対君主となった・・・
若き信長が、尾張の絶対君主となるプロセスにおいて、最後の敵が「同国の三分の一所有」と明確です。
つまり、この「尾張最終決戦」において、「信長対敵勢力が2:1の勢力だった」ということです。
かなり緻密な分析であり、現代とは異なり、情報量が極めて限定された当時、



我がイエズス会の
情報収集能力は随一!
イエズス会の情報収集能力は、抜群であったことが分かります。
・尾張北四郡:岩倉織田家(伊勢守)
・尾張南四郡:清洲織田家(大和守)
この「他の一人の殿」とは、終わり北部を領有していた岩倉織田家を指すと考えます。
あるいは、元々尾張守護だった斯波氏を指している可能性もあります。
いずれにしても、イエズス会の「勢力」の情報把握に関しては、幅広く行っていたと思われます。
大規模かつ基本的な信長の美濃攻略戦:「偽装+挟撃」で一気に制圧


そして、清洲城を本拠地として、尾張をほぼ全土制圧した信長。



だが、彼は(隣国をも)支配しようと
欲していたので・・・



突如、尾張に接する美濃国に対する
攻撃を遅滞なく準備した・・・
「尾張制圧」の次は「美濃制圧」の話に移るフロイス。


「信長のデビュー戦」である桶狭間の戦いをスキップして、美濃戦となりました。
この超重大な合戦の描写をスキップした点には、フロイスの戦略眼が見て取れます。
おそらく、フロイスとしては、



「桶狭間」は防衛戦であり、
織田家の勢力拡張とは別・・・
「防衛戦」であり、積極的な意義が少ないと判断したと思われます。



彼が陣営を構え、美濃国主(斎藤龍興)も
同様に成した後、彼は戦略を用いた・・・



彼は夜間、家臣のほとんど半ばを退かせ、
大いなる夜陰に乗じ・・・



敵を七、八里側面から迂回して、
彼らを密かに美濃国主の背後に配置し・・・



その際、敵方の家来の印しがついた
旗を作らせておいた・・・
信長率いる織田軍が、「斎藤家の家臣(おそらく重臣)の旗を作らせた」と描写するフロイス。



美濃国主は眼前の信長の
陣営を密かに偵察せしめ・・・



自分の部下が遥かに優勢であることを
聞いて、攻撃した・・・


この頃、信長は美濃攻撃のために、一時的に小牧山城を拠点とした説が有力です。
この点に関して、フロイスの描写は見当たりません。



しかるに彼(龍興)が進撃を開始した時、
信長も彼の背後に移動した・・・



敵のこの動きから、彼の背後に生じ得る
事態について国主はいささかも懸念しておらず・・・



敵のこの動きから、彼の背後に生じ得る
事態について国主はいささかも懸念しておらず・・・



むしろ彼はその軍勢を見、
味方の旗を認めると非常に喜び、



眼前の敵を攻撃することにのみ
一層夢中になった・・・



ところが両軍が刃を交え始めた頃、
信長がやって来て彼を挟撃し・・・



その多数の部下を殺し、軍勢に
打撃を加えた後・・・



直ちに美濃の主城へ
突進し・・・



かくて全ては難なく
信長に帰伏した・・・
信長の美濃攻略戦において、信長が大々的な偽装工作をして、挟撃した事実を描写しました。
この真偽性は諸説ありますが、とにかく描写が緻密です。


美濃攻略戦においては、従来からの重臣柴田勝家・佐久間信盛が織田家の中核でした。
そして、丹羽長秀・佐佐成政らの譜代が続き、羽柴秀吉が出頭して来た頃でした。
勝家・信盛・長秀・秀吉の力を結集して、信長は、



斎藤家の旗を
偽装して、挟撃だ!
大規模かつ基本的な「偽装+挟撃」という戦略で、一気に美濃を陥落させました。

