前回は「「心気広闊」の大戦略家・織田信長〜室町幕府の香りが残存した戦国・「形だけは当初法華宗」の記述・本能寺と安土宗論〜」の話でした。
16世紀「二大覇権国」のポルトガル:「世界分割」トルデシリャス条約

ポルトガルから来日したルイス・フロイスから見た、当時の日本の状況。
几帳面な性格であったルイス・フロイスは、丹念に報告書をイエズス会に上げています。
1563年に来日した頃は、ポルトガルとスペインの天下の時代でした。
スペインは「無敵艦隊」と呼ばれる大艦隊を有し、世界中を睥睨していました。

この「ポルトガルとスペインの天下」を象徴するのが、1494年締結のトルデシリャス条約です。
この条約によって、「世界におけるポルトガルとスペインの分割境界」を決定したのでした。
つまり、ポルトガルとスペインで「世界分割境界線」を勝手に決めた条約でした。
他の外国から見れば、「とんでもない発想」ですが、当時のポルトガルとスペインは、
ポルトガル俺たちが世界最強国なんだから、
良いだろう?



まあな・・・
俺たちで世界分割境界線を決めておけば・・・



俺たちの間の
紛争を未然に防げるな・・・
こんな感じで、平然と「世界分割境界線」を決定したポルトガルとスペイン。
この「世界分割境界線」は、ある子午線によって、世界を縦に分割しました。
そして、の「世界分割境界線」の位置は、後に変更になります。
そして、スペインが1588年に大英帝国に「アルマダの海戦」で大敗北を喫するまでは、



我がスペインの領土は
世界中にある!



そして、我がスペインは、
これからもガンガン支配領土を広げる!
ポルトガルもスペインも、「世界を分け合う」立場の視点でした。
そして、その「二大覇権国」のポルトガルから来たのがルイス・フロイスでした。
時には憂鬱になった信長:リアリティあり過ぎる描写とフロイスの文章力


この「圧倒的大国」から、「東アジアの小さな国Japan」にやってきたルイス・フロイス。
いわば、「現在の米国を超えた存在」だったとも言える大国家が、当時のポルトガルでした。
そのため、ルイス・フロイスが、どうしても「上から目線になる」のは致し方ありません。



彼(信長)は、自邸において
極めて清潔であり・・・



自己のあらゆることを
すこぶる丹念に仕上げ・・・



対談の際、遷延することや、
だらだらした前置きを嫌い・・・



ごく卑賤の家来とも
親しく話をした・・・
この「信長像」は、広く知られる信長のイメージです。
この「ごく卑賤の家来とも親しく話」によって、木下藤吉郎(羽柴秀吉)は飛躍しました。
信長が極めて几帳面な性格であり、「きれい好き」であったことが表現されています。



さっさと
本題に入れ!



余計な口上は
一切不要だ!
とにかく、「本題に入る」ことを要望した信長に対して、フロイスは少し驚いたのでしょう。
当時の日本は、戦国時代とはいえ、格式や礼式が非常に大事な時代でした。
この「遷延や前置きを嫌う」点において、フロイスは信長の特殊性を明確に語っています。



彼は少しく憂鬱な
面影を有し・・・



困難な企てに着手するに
当たっては、はなはだ大胆不敵で・・・・・



万事において
人々は彼の言葉に服従した・・・
この「少し憂鬱な面影」もまた、面白い表現です。
一般的な信長のイメージと、「憂鬱な表情」は相容れない印象があります。



私も時には
憂鬱になったのだ・・・
信長包囲網などで、誰しも「憂鬱にならざるを得ない」時も、闊達に戦った印象の信長。



彼は好戦的で傲岸不遜で
あったから・・・



兄が父の相続において
自分に優先することが耐えられなかった・・・



そこで目的を果たすため、
病気を装って数日床につき・・・



兄が見舞いに来ないと
母親に訴えた・・・



兄は欺瞞を恐れて
そうしなかったのであるが・・・



彼の激しい督促によって
ついに訪問した・・・



その際、彼は脈を見てもらう
ために左手を差し出し・・・



兄がそれをとった時、
彼は大いなる迅速さをもって・・・



すでに用意してあった
短刀をつかみ・・・



直ちに兄を
殺した・・・
兄・とは異母兄・信広を指しますが、どうやらここでは弟の織田信行を指しているようです。
少し間違っていますが、信長の「殺し方」の描写が異常に細かいです。
「左手を差し出し」などは、「見ていたか」のようであり、これはおそらく脚色と思われます。
それにしても、リアリティあり過ぎる描写は、フロイスの卓越した文章力を感じさせます。

