前回は「山本五十六との邂逅果たした山口多聞〜米プリンストン大学への留学・大学院を遥かに超えた海大のレベル・ロンドン軍縮会議と外交の現場〜」の話でした。

世界最強航空艦隊へつながる空母鳳翔:国力と軍縮と

後に、第二次世界大戦・大東亜戦争の際には、一時的に「世界最強航空艦隊」を有した帝国海軍。
| 海軍兵学校卒業期 | 名前 | 専門 | 役職 |
| 28 | 永野 修身 | 大砲 | 軍令部総長 |
| 32 | 山本 五十六 | 航空(大砲) | 連合艦隊司令長官 |
| 35 | 近藤 信竹 | 大砲 | 第二艦隊司令長官 |
| 36 | 南雲 忠一 | 水雷 | 第一航空艦隊司令長官 |
| 37 | 井上成美 | 航空 | 第四艦隊司令長官 |
| 37 | 小沢 治三郎 | 航空 | 南遣艦隊司令長官 |
| 39 | 伊藤 整一 | 大砲 | 軍令部次長 |
| 40 | 宇垣 纏 | 大砲 | 連合艦隊参謀長 |
| 40 | 山口 多聞 | 航空 | 第二航空戦隊司令官 |
| 41 | 草鹿 龍之介 | 航空 | 第一航空艦隊参謀長 |
真珠湾奇襲攻撃を実行した際の、連合艦隊・軍令部幹部の一覧表が上です。
この頃は、明らかに航空に舵を切っていた大日本帝国海軍。

「世界初の空母」と言われる空母・鳳翔を1922年に完成させたのが、帝国海軍でした。
この「世界初」は大英帝国と争っていますが、「最初から空母として設計」した空母では世界初でした。

そして、山本五十六たちと共に、1930年に開催されたロンドン海軍軍縮条約に出席した山口。
山口多聞これが軍縮条約の
協議の場か・・・



ここで、世界各国が
自国の主張を戦わせるのだ・・・
1930年頃は、世界的で一時的に平和な時代となっていました。
そして、軍縮協議の場は「机の上の戦い」であり、



Japanは、我が国の
概ね70%という希望は分かります・・・



少し削って、
我が国の69.75%でいかが?
この頃、米国は、明確に大日本帝国を「仮想敵」とし、帝国海軍の力を抑えようとしていました。
米国の本音としては、



Japanの国力を
考えたら、このくらいが妥当では?
国家の総合力である国力を考えると、実態として「69.75%は妥当」でした。
若い頃から、頭脳派であった山口もまた、



まあ、国力から考えると、このくらいの
ラインが妥当だろう・・・



だが、海を守るためには
もっと艦船が必要だ!
こう考えていたでしょう。
「統帥権干犯」を明確化した帝国海軍:軍部の暴走開始と満洲事変


ロンドン海軍軍縮条約では「5年間、新戦艦建造中止」であり、戦力増強が全面的に抑制されました。
その反面、空母に関しては、「1万トン以下の空母も規制範囲へ」と比較的曖昧な決定でした。
それに対して、戦力の中核とも言える重巡と軽巡に関しては、明確な数値で定められました。
| 米国 | 大英帝国 | 大日本帝国 | |
| 重巡 | 10.00 | 8.10 | 6.02 |
| 軽巡 | 10.00 | 13.40 | 7.00 |
ここで、戦艦に近い砲撃を持ち、魚雷を有する強力な重巡への強い規制が問題でした。



重巡が対米6.02とは
何事だ!
確かに、空母ばかり活躍が目立つ第二次世界大戦においても、重巡の力は強力でした。
空母と共に組み合わせることで、ある意味では戦艦より役立つ存在となったのが重巡でした。
第二次世界大戦の海戦では、米海軍と帝国海軍の間で、重巡同士の戦闘も多数ありました。



まあ、この辺りで
米国とは上手く妥協しよう・・・
ここで、政府は軍令部の反対を押し切って、強行しました。



おいっ!
統帥権をなんだと思っている!



これは
統帥権干犯だ!
実際、当時の大日本帝国の国力では、「対米7割」の海軍力をキープするのは大変なことでした。
予算や国力から考えると、本来は「対米7割は極めて困難」でしたが、



我が国家を
守るためには、無理でもやるのだ!
「海を守る」帝国海軍としては、予算や財源を度外視しても、海軍力増強を叫んでいました。





国家安危の係るところで、
真に憂慮に堪えぬのである・・・
かねてから、「軍縮派」であった犬養毅立憲政友会総裁は、軍令部の立場から政府を攻撃しました。
これは、犬養毅の立場から考えると、誠に異様な状況でした。
このロンドン軍縮条約において、「統帥権干犯」を言い出した帝国海軍は、



統帥権は天皇を
輔翼する軍部のものだ!



政府は天皇の輔弼する
行政権を行使すれば良い!
| 帝国政府 | 帝国陸海軍・軍部 | |
| 行政権 | 輔弼 | – |
| 統帥権 | – | 輔翼 |
確かに、大日本帝国憲法の元では、「政府は統帥権にタッチできない」立場でした。
これは、「もともと分かっていたこと」でした。
政府も軍部も「了解していたこと」でしたが、表面化することで、統帥権は巨大な力を持ちました。
帝国海軍・軍令部は「虎の尾を踏んだ」ことになってしまいました。


そして、この「統帥権干犯問題」は、翌1931年の満洲事変を引き起こすに至りました。



統帥権か・・・
この扱いは難しい・・・
急激に変わってゆく大日本帝国の姿に対して、山口多聞は大きな危惧を抱いたでしょう。

