前回は「村塾生を「先導」+「煽動」した吉田松陰の実像〜草莽崛起の野望・松下村塾生と「年齢が近い」先生だった松陰〜」の話でした。
「師匠」よりも「教祖」に近い吉田松陰:松下村塾と適塾

東京都世田谷区に、ひっそりと建っている松陰神社。

文字通り、吉田松蔭の神社であり、「神となった」のが吉田松陰でした。
吉田松陰草莽崛起(そうもうくっき)
するのだ!



志を立てるためには、
人と異なることを恐れてはならない!
とにかく、言動が過激であった吉田松陰は、「実行あるのみ」の精神でした。
そして、自らも「実行あるのみ」を貫徹した人物でありました。
| 名前 | 生年 | 松下村塾 |
| 吉田 松陰 | 1830 | ◯(指導者=先生) |
| 木戸 孝允(桂小五郎) | 1833 | – |
| 前原 一誠 | 1834 | ◯ |
| 入江 九一 | 1837 | ◯ |
| 山縣 狂介(有朋) | 1838 | △ |
| 高杉 晋作 | 1839 | ◯ |
| 久坂 玄瑞 | 1840 | ◯ |
| 伊藤 博文(俊輔) | 1841 | ◯ |
| 吉田 稔麿 | 1841 | ◯ |
江戸時代には、各藩に原則として正式な学校=藩校がありました。
そして、寺子屋や私塾が無数にあった江戸時代。
欧米のような学校制度がなかった当時、日本においては、様々な多様な教育がなされていました。
現代では「塾」というと、ひたすら試験やテストの成績を上げるための教育機関を指します。
江戸時代の「塾」は、現代よりも遥かに広い意味を持っており、「読み・書き・算盤」を習う機関でした。


江戸時代の寺子屋や私塾は、現代よりの塾よりも和気藹々としたイメージがあります。


松下村塾と二強を誇る適塾(正式名称「適々斎塾」)。
適塾は、松下村塾よりもはるかに「学問の香り」が強いです。
・松下村塾:高杉晋作、久坂玄瑞、前原一誠、伊藤博文など
・適塾:大村益次郎、福沢諭吉、橋本左内、大鳥圭介など
適塾は「蘭学養成機関」のイメージが強く、松下村塾の方がカラーが遥かに強いです。



皆、この吉田松陰の
言う通りにするのだ!
松下村塾は、「師匠」と言うよりも「教祖」に近い印象があります。
歴史を変えた松下村塾:「小さいこと」が高めた感化力と潜在力


そして、世田谷区の松陰神社には、松下村塾の実物大の復元建築があります。



凡そ生まれて人たらば、
宜しく人の禽獣に異なる所以を知るべし!



はいっ!
吉田先生!



俺たちが
世の中を変えるのよ!



吉田先生に
ついてゆくのだ!
この小さな、小さな建築において、多数の長州藩士が巣立ってゆきました。
・長州・松下村塾:高杉晋作、久坂玄瑞、前原一誠、伊藤博文など
・薩摩・精忠組:西郷隆盛、大久保利通、有馬新七、大山綱良など
・肥前・義祭同盟:江藤新平、大隈重信、副島種臣、大木喬任、島義勇など
幕末には、「三大志士グループ」があります。
中でも、規模が最大であり、最強なのが「松下村塾グループ」でした。


元は、吉田松陰の叔父の玉木文之進が作った、松下村塾。



この吉田松陰が
松下村塾の新たな塾頭です!
小さな日本家屋で生まれた松下村塾を、吉田松陰が継ぎました。
諸説ありますが、繁盛した松下村塾は、「10畳程度を増築した」という説があります。
この「吉田松陰の間近で学ぶ」空間で、多数の若者が感化されました。
この小さな、小さな日本家屋が、日本の歴史を変えたのでした。
諸外国の家屋と比較して「小さい」ことで有名な日本の家屋。
この「小さいこと」が、松下村塾の潜在力を高めたように感じます。


小さな10畳程度の部屋において、多数の若者たちが、吉田松陰に学びました。
吉田松陰と「膝を突き合わせて学んだ」松下村塾の塾生たち。



良いかっ!
「志を立てて以って万事の源となす」のだ!



はいっ!
私は、「志を立てて以って万事の源となす」とします!
吉田松陰の圧倒的な能力と感化力によって、久坂・高杉らは圧倒されました。
そして、多数の若者が、この小さな松下村塾から飛び立ってゆきました。
この小さな、小さな日本建築が、歴史を変えたことを考えると、感慨深いです。
この小さな日本建築が、存在しなかったら。
日本の幕末維新の風景は、大分異なったものとなったでしょう。
確かに、この小さな日本建築が大きく変えたのでした。
「日本の歴史」を。

