前回は「「神流川の戦い」で大敗した滝川一益〜強力な腹心の不在・佐々成政や佐久間盛政ら猛将がいた柴田軍との大きな違い・北条に大敗北したショック・西へ向かっていた織田家の視線〜」の話でした。
「アウェーすぎる土地」で「地元の覇王」との戦い
本能寺の変直後に「関東の王」であった北条家に攻め込まれた滝川軍。
このわずか3ヶ月ほど前に、武田討滅戦を指揮し、上野国に入国したばかりでした。
滝川軍18,000に対して、北条軍は50,000もの大軍勢であり、極めて劣勢であった滝川軍。
もはや、
戦うしかないわ!
はるかに劣る軍勢で北条家に挑んだ猛将・滝川一益。
押せ、
押せ!
北条を
叩き潰せ!
緒戦は打撃を与えたものの、その後は多勢に無勢で押しまくられ一気に敗北します。
「アウェーすぎる土地」で、領主として入国してから「実にわずかな期間」での大会戦でした。
「共に戦う有力な武将が不在」の中、猛将は最後の輝きを放とうとし、敗北し失意に沈みます。
歴戦の武将である
私が敗北した・・・
織田家「年長者」の超実力者
我が北条家の
総力を結集し・・・
滝川を
叩き潰すのだ!
織田家伊勢侵攻戦で頭角を現し第一線を歩み続けた滝川一益。
宿老として早くから織田家の柱の一つであり続け、織田家中で大いなる存在でした。
名前 | 生年(一部諸説あり) |
柴田勝家 | 1522年 |
滝川一益 | 1525年 |
明智光秀 | 1528年 |
織田信長 | 1534年 |
丹羽長秀 | 1535年 |
羽柴秀吉 | 1537年 |
柴田勝家と共に「年長者」の実力者として、重きを成し続けてきました。
信長よりも9歳年上の滝川に対しては、信長すら「遠慮をしていた」説もあります。
「甲賀出身」とも言われますが、詳細は不明です。
信長様に引き立てられ、
信長様に尽くしたが・・・
本能寺の変直前には、「関東管領」として「東国の王」となった一益。
一時は、「戦国最強」の武名を天下に鳴らした武田家を叩き潰した事実上の総司令官でした。
武田勝頼を天目山に追い詰めたのは、1582年3月11日。
その後、東国に入国したものの3ヶ月とたたぬうちに、本能寺の変勃発となりました。
本能寺の変直後の神流川の戦いで、北条家に大惨敗し、一気に落魄します。
こんなことに
なるとは・・・
・・・・・
もはや
疲れた・・・
「悪すぎる条件・状況」の中で逃げることなく、戦い抜きました。
沈みゆく織田家の「大いなる輝き」放った滝川一益
「織田四天王の一人」として、己の生き様を貫いた猛将の最後の奮闘でした。
私は天下の
織田四天王の一人!
誰が戦っても敗北必至の、非常に厳しい状況。
この状況において、織田家方面軍司令官・関東管領としての輝きを、一瞬でも強烈に放った一益。
私は決して
逃げなかった!
信長様・・・
織田四天王の矜持、発揮しましたぞ!
決して逃げない勇敢な姿勢は、「亡き織田信長の名誉」にもなったでしょう。
この時、すでに「この世の人間ではない」織田信長。
おそらく「あの世に行ってまもない」信長は泉下で、こう思ったでしょう。
よくぞ・・・
戦ったぞ!
余は
満足だぞ!
さすがは、
織田四天王だ!
そして、それはこれから沈みゆく「織田家」が放った大いなる輝きとなったのです。
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