前回は「北条に大惨敗喫した滝川一益〜明智光秀も羽柴秀吉も苦境の「滝川の状況」・名門意識が極めて強かった北条氏政〜」の話でした。

「神流川の戦い」で大敗した滝川一益

大軍勢の北条軍に対して、大敗した滝川一益。

やはり、
大軍勢の前には、勝ち目はなかったか・・・





いくら智勇兼備の
滝川様とは言え・・・



信長様亡き後、
北条家と戦えるのだろうか・・・
主力の伊勢衆は、15年ほど「信長の織田家の一部」として活躍してきました。


信長が、尾張から美濃を奪取した次に目指したのが伊勢国と近江国でした。


そして、伊勢攻略に出向いていた滝川一益は、伊勢衆を従えて「滝川軍主力」としていました。
そのため、伊勢衆にとっては「信長の存在」がほかの国々出身の衆よりも強かったのでした。
そのため伊勢衆たちは「信長自刃」の情報で、



信長様が
いなくなった織田家は未来があるのだろうか・・・
浮き足立っていたことも大ダメージでした。
強力な腹心の不在:佐々成政や佐久間盛政ら猛将がいた柴田軍との大きな違い


また、滝川軍団に強力な軍事力を持つ武将が、寄騎としていなかったのも敗北の大きな要因でした。
佐々成政・佐久間盛政ほどでなくても、それに準じる軍事能力を持つ補佐役がいれば、だいぶ違ったでしょう。





俺たちは
軍事能力には自信があるぜ!





この鬼・玄蕃に
勝てるやつがいるか?
あるいは、池田恒興や中川清秀等の軍事的能力の高い武将が共にいたら、大きく違っていたでしょう。
北条に大敗北したショック:西へ向かっていた織田家の視線





よしっ!
滝川を倒したぞ!



北関東は、
我が北条のものよ!



敗けた・・・
こんな敗北の仕方をするとは・・・
「敗けて当然」の合戦でしたが、あまりの大敗ぶりにショックを受ける一益。



私の采配に
問題があるのか・・・


本能寺直前の時期、信長の視線はハッキリと西に向かっていたのです。



東は徳川もいるし、
押さえていれば良い・・・



滝川一益、河尻秀隆よ・・・
任せたぞ!
老練な猛将である滝川が「東の押さえにうってつけ」だったのでした。



滝川が関東に居れば、
問題なし!



そして、我が軍の主力は
西の毛利に向かう!
このように「滝川一益が東国を押さえる」と信長は考えていましたが、



どうにも
ならなかった・・・
知勇兼備の将である滝川一益ですら、「どうにもならない」状況でした。
あまりにタイミングが悪かったのでしたが、この合戦が一益の運命を大きく左右します。
次回は上記リンクです。