北条に大惨敗喫した滝川一益〜明智光秀も羽柴秀吉も苦境の「滝川の状況」・名門意識が極めて強かった北条氏政〜|滝川一益17・評価・軍事能力・エピソード

前回は「「本能寺の変」を諸将に伝えて鼓舞した滝川一益〜「信長健在」の嘘の手紙を乱発した羽柴秀吉・戦場の駆け引きと「平地での3倍の敵」〜」の話でした。

滝川 一益(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)
目次

名門意識が極めて強かった北条氏政

戦国大名 北条氏政(Wikipedia)

のちに「豊臣秀吉に最後に抵抗した大名」となる北条家。

我が
北条家は超名門!

本能寺の変当時、北条家にとって織田家はまさに「別格」の存在でした。

織田家宿老の滝川一益にとって、北条家は大勢力であっても、「対等に近い」のです。

滝川一益にとって、北条は「格別の配慮を払う相手ではなかった」のが現実でした。

著名な武将は少なく、大きな存在ではなかったのです。

北条など、
大したことはない。

な、
なんだと!

北条家は、
早雲以来の名家だ!

お前こそ、
どこの誰だ?

名門意識が極めて強かった北条氏政。

しかし、北条家の当時の日本における立ち位置は、それほど高くはなかったのです。

北条に大惨敗喫した滝川一益

神流川周辺(歴史群像シリーズ51 戦国合戦大全 下巻 学研)

北条ごときに、
舐められてたまるか!

奮起して、大軍勢の北条家に戦いを挑んだ滝川一益。

その奮起で、大いに戦った滝川軍。

緒戦で、北条軍を叩くことに成功します。

北条に
打撃を与えたぞ!

我が軍略が、北条ごときに
負けてたまるか!

ところが、兵力差は如何ともしがたい、絶望的な状況です。

滝川様!
北条が反撃に転じました!

むう・・・
やはり軍勢が少ないか・・・

戦国大名 織田信長(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

さらに、信長が本能寺で自刃したことを、事前に知っていた滝川軍。

主力の伊勢衆は、足立ってしまいます。

いくら智勇兼備の
滝川様とは言え・・・

信長様亡き後、
北条家と戦えるのだろうか・・・

「絶対に勝てる」と、大軍で押し寄せてきた北条家に大敗します。

北条家の底力を、
見損なうなよ!

これで勝ちだ!
はっは〜!

・・・・・

明智光秀も羽柴秀吉も苦境の「滝川の状況」

織田家重臣 羽柴秀吉(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

羽柴秀吉が、「滝川一益と同じ立場」であったら、どうだったでしょうか。

小大名 真田昌幸(Wikipedia)

後に豊臣秀吉となった秀吉に、上野の国人であった真田昌幸は心服しています。

真田殿・・・
この秀吉について来れば、人生ひらけますぞ!

秀吉様に
ついてゆきます!

ウマがあったのは間違いないでしょうから、秀吉なら昌幸を上手く味方につけられたかもしれません。

しかし、「豊臣」秀吉と「羽柴」秀吉では、背景となる勢いが全く異なります。

この頃の、秀吉がうまく真田昌幸を抱き込めたかどうか、は大いに疑問があります。

秀吉であろうと、光秀であろうと、北条家と戦うには準備期間が短すぎたでしょう。

織田家重臣 明智光秀(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

私は上方の地理には
詳しいが、関東はよく知らない・・・

鉄砲が多ければ「勝ち目」は
あるのだが・・・

当時の織田家の目は「西に向いていた」ため、鉄砲もまた「西に集中していた」のでした。

有利な状況がなく、
「3倍の敵」では無理だ・・・

卓越した軍事能力を有した光秀が一益の立場であっても、非常に厳しい状況だったでしょう。

新歴史紀行

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