前回は「忍武神・滝川一益の大奮闘〜強敵武田を討滅・戦国抜群の能力を有した織田信長と織田四天王・「比較的低い評価」の滝川一益に対する名称〜」でした。
織田四天王の一人としての矜持
本能寺の変直後、「一度は織田に従い続ける」フリを示した北条家。
信長不在の
織田になんか従えるかよ!
必ず、必ずや、
上野から滝川を叩き出すのだ!
「攻められること」を全く想定していなかった滝川軍。
後に引くことが決してできず、前に向かっても圧倒的な不利な状況。
絶望的状況においても、事実上の「織田家四天王の一人」として敢然と立ち向かう決意をします。
俺は天下の
織田家四天王の一人!
北条家ごとき相手に
逃げることなどできぬわ!
撤退などせずに、
正面から北条と決戦だ!
ははっ!
一益様にどこまでもついてゆきます!
非常に厳しい状況ですが、
我らは一益様についてゆきます!
織田家勃興期に伊勢を支配した一益は「15年の付き合い」である伊勢衆がいました。
伊勢衆たちが
一緒に戦ってくれることは心強い!
日本の半分を支配していた織田家
なんと、滝川が
応戦するつもりとは・・・
「関東では北条」ということを、
わからせてやろう!
この頃の織田家の石高に関しては、諸説あります。
織田家の最盛期・末期の石高は、500万石程度〜700万石程度と幅があります。
石高では「日本全国の40%程度を支配した」と言えるでしょう。
日本の中枢をほぼ全て押さえた織田家。
室町末期から急速に商業・流通経済が栄えた結果、経済力は石高以外のファクターがあります。
余は石高よりも
流通や商業による経済力を重視する!
京周辺を抑え、貿易のメッカ・堺を支配していた織田家。
貿易は九州などでも行われていましたが、
やはり、最も
Moneyを持っているのは、Odaね!
南蛮商人たちは、こぞって「最大の経済力」を有していた織田家がある堺へ行きました。
この時点で、織田家は「日本の半分を支配した」と言って良いでしょう。
忍武神・滝川一益の輝き:緒戦で3倍の北条軍に打撃
「信長あっての織田家」であることは当時広い共通認識だったでしょう。
アウェーの土地において「信長なき織田家」を背負います。
18,000の将兵を統率した滝川一益。
よしっ!
皆の者、出陣だ!
一益以外には、それほど目立つ武将がいない中、これだけの大軍を直卒する力は相当なものです。
これまでの戦いの
総決算だ!
その武勇と統率力を極限まで発揮し、合戦において大いなる光を放ちます。
こいっ!
滝川よ!
3倍の軍勢で
木っ端微塵にしてくれる!
条件が悪すぎる中、猛将・滝川一益はその本分を余すことなく発揮します。
ゆけ!ゆけ!
北条に打撃を与えよ!
そして、はるかに劣る軍勢で北条家に挑み、緒戦は打撃を与えることに成功しました。
こんな
はずが・・・
ええい!
坂東武士の本領を発揮せよ!
我が人生最後の合戦と
なるやもしれん!
織田四天王・滝川の
采配の輝きを見よ!
次回は上記リンクです。