滝川一益 15〜忍武神の輝き 1〜|織田四天王

前回は「滝川一益 14〜忍武神の奮闘〜」でした。

滝川 一益(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

後に引くことが決してできず、前に向かっても圧倒的な不利な状況。

絶望的状況においても、事実上の「織田家四天王の一人」として敢然と立ち向かう決意をします。

俺は天下の
織田家四天王の一人!

北条家ごとき相手に
逃げることなどできぬわ!

北条氏政(Wikipedia)

なんと、滝川が応戦するつもりとは・・・

「関東では北条」ということを、
わからせてやろう!

この頃の織田家の石高に関しては、諸説あります。

500万石程度〜700万石程度と幅がありますが、石高では「日本全国の40%程度を支配した」と言えるでしょう。

1582年の織田家勢力図(別冊歴史人 「戦国武将の全国勢力変遷地図」KKベストセラーズ)

しかし、室町末期から急速に商業・流通経済が栄えた結果、経済力は石高以外のファクターがあります。

京周辺を抑え、貿易のメッカ堺を支配した信長は、「日本の半分を支配した」と言って良いでしょう。

織田 信長(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

「信長あっての織田家」であることは当時広い共通認識だったでしょう。

アウェーの土地において「信長なき織田家」を背負います。

18,000の将兵を統率した滝川一益。

一益以外には、それほど目立つ武将がいない中、これだけの大軍を直卒する力は相当なものです。

これまでの戦いの
総決算だ!

その武勇と統率力を極限まで発揮し、合戦において大いなる光を放ちます。

神流川周辺(歴史群像シリーズ51 戦国合戦大全 下巻 学研)

条件が悪すぎる中、猛将・滝川一益はその本分を余すことなく発揮します。

そして、はるかに劣る軍勢で北条家に挑み、緒戦は打撃を与えます。

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