忍武神・滝川一益の輝き〜織田四天王の一人としての矜持・日本の半分を支配していた織田家・緒戦で3倍の北条軍に打撃〜|滝川一益15・評価・軍事能力・エピソード

前回は「忍武神・滝川一益の大奮闘〜強敵武田を討滅・戦国抜群の能力を有した織田信長と織田四天王・「比較的低い評価」の滝川一益に対する名称〜」でした。

滝川一益(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)
目次

織田四天王の一人としての矜持

戦国大名 北条氏政(Wikipedia)

本能寺の変直後、「一度は織田に従い続ける」フリを示した北条家。

信長不在の
織田になんか従えるかよ!

必ず、必ずや、
上野から滝川を叩き出すのだ!

「攻められること」を全く想定していなかった滝川軍。

後に引くことが決してできず、前に向かっても圧倒的な不利な状況。

織田四天王(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

絶望的状況においても、事実上の「織田家四天王の一人」として敢然と立ち向かう決意をします。

俺は天下の
織田家四天王の一人!

北条家ごとき相手に
逃げることなどできぬわ!

撤退などせずに、
正面から北条と決戦だ!

ははっ!
一益様にどこまでもついてゆきます!

非常に厳しい状況ですが、
我らは一益様についてゆきます!

織田家勃興期に伊勢を支配した一益は「15年の付き合い」である伊勢衆がいました。

伊勢衆たちが
一緒に戦ってくれることは心強い!

日本の半分を支配していた織田家

1582年の織田家勢力図(別冊歴史人 「戦国武将の全国勢力変遷地図」KKベストセラーズ)

なんと、滝川が
応戦するつもりとは・・・

「関東では北条」ということを、
わからせてやろう!

この頃の織田家の石高に関しては、諸説あります。

織田家の最盛期・末期の石高は、500万石程度〜700万石程度と幅があります。

石高では「日本全国の40%程度を支配した」と言えるでしょう。

戦国大名 織田信長(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

日本の中枢をほぼ全て押さえた織田家。

室町末期から急速に商業・流通経済が栄えた結果、経済力は石高以外のファクターがあります。

余は石高よりも
流通や商業による経済力を重視する!

京周辺を抑え、貿易のメッカ・堺を支配していた織田家。

貿易は九州などでも行われていましたが、

やはり、最も
Moneyを持っているのは、Odaね!

南蛮商人たちは、こぞって「最大の経済力」を有していた織田家がある堺へ行きました。

この時点で、織田家は「日本の半分を支配した」と言って良いでしょう。

忍武神・滝川一益の輝き:緒戦で3倍の北条軍に打撃

神流川周辺(歴史群像シリーズ51 戦国合戦大全 下巻 学研)

「信長あっての織田家」であることは当時広い共通認識だったでしょう。

アウェーの土地において「信長なき織田家」を背負います。

18,000の将兵を統率した滝川一益。

よしっ!
皆の者、出陣だ!

一益以外には、それほど目立つ武将がいない中、これだけの大軍を直卒する力は相当なものです。

これまでの戦いの
総決算だ!

その武勇と統率力を極限まで発揮し、合戦において大いなる光を放ちます。

こいっ!
滝川よ!

3倍の軍勢で
木っ端微塵にしてくれる!

条件が悪すぎる中、猛将・滝川一益はその本分を余すことなく発揮します。

ゆけ!ゆけ!
北条に打撃を与えよ!

そして、はるかに劣る軍勢で北条家に挑み、緒戦は打撃を与えることに成功しました。

こんな
はずが・・・

ええい!
坂東武士の本領を発揮せよ!

我が人生最後の合戦と
なるやもしれん!

織田四天王・滝川の
采配の輝きを見よ!

新歴史紀行

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