滝川一益 8〜北条家と決戦へ〜|真田の存在

前回は「滝川一益 7〜北条家来襲〜」でした。

滝川 一益(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

本能寺の変で、織田信長・信忠親子が自刃に追い込まれ、「君主不在」となってしまった織田家。

織田 信長(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

関東管領格となった滝川一益ですが、その年の3月に武田家を討滅した後に、上野に入国しました。

そして、本能寺の変が6月2日に勃発。

まだ入国してまもなく、というよりも2月ほどしか経過してなく、「入国直後」と言っても良い状況の滝川家。

そして、寄騎は真田昌幸など少ない状況です。

北条 氏政(Wikipedia)

我が北条家の総力上げれば・・・

滝川など一蹴よ!

ここで頼りになる「知謀の男」真田昌幸。

真田 昌幸(Wikipedia)

武田信玄が手こずった砥石城をあっさり調略で落とした、知謀の将 真田 幸隆(幸綱)の三男です。

真田 幸隆(幸綱)(Wikipedia)

非常に武勇に優れた長男・次男がいたため、武藤家へ養子に出されました。

武藤喜兵衛と名乗ります。

そして、武藤となった真田昌幸は、武田信玄の元で軍略の限りを学びます。

武田 晴信(信玄)(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

武藤喜兵衛(真田昌幸)は、非常に優れている!

武藤は我が目と言っても良い!

その後、信玄がもう少し長生きすれば、信玄近習から侍大将となり、活躍するはずだった武藤喜兵衛(真田昌幸)。

武藤家をついだ真田昌幸が、「真田に戻った理由」。

それは、武勇に優れた兄たちが「長篠の合戦で討死したため」でした。

長篠の戦い(図説 豊臣秀吉 柴裕之編著 戎光祥出版)

その後、一時は戦国一とも言われた武田家がどんどん凋落するのを、目の当たりにしてきた真田昌幸。

武田勝頼が追い詰められた時は、自らの居城 岩櫃城に勝頼を迎え入れ、徹底抗戦することを申し出ていました。

武田 勝頼(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

外様であった真田を信用できず、身内の小山田信茂を頼った勝頼。

最後はあっさり小山田に裏切られ、天目山で自刃します。

ワシの城に来れば、1年以上堪えたられたものを・・・・・

悔やむ昌幸。

その後、「やむを得ず」滝川にしたがっていました。

武田信玄譲りの戦国指折りの諜報力を持つ真田家。

乱破を四方八方に派遣し、情報収集します。

滝川と北条、どちらを選ぶか・・・・・

悩む真田昌幸でした。

地元を押さえ、智将の名高い真田昌幸が
いるのは、心強い!

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