前回は「滝川一益 7〜北条家来襲〜」でした。

本能寺の変で、織田信長・信忠親子が自刃に追い込まれ、「君主不在」となってしまった織田家。

関東管領格となった滝川一益ですが、その年の3月に武田家を討滅した後に、上野に入国しました。
そして、本能寺の変が6月2日に勃発。
まだ入国してまもなく、というよりも2月ほどしか経過してなく、「入国直後」と言っても良い状況の滝川家。
そして、寄騎は真田昌幸など少ない状況です。


我が北条家の総力上げれば・・・



滝川など一蹴よ!
ここで頼りになる「知謀の男」真田昌幸。


武田信玄が手こずった砥石城をあっさり調略で落とした、知謀の将 真田 幸隆(幸綱)の三男です。


非常に武勇に優れた長男・次男がいたため、武藤家へ養子に出されました。
武藤喜兵衛と名乗ります。
そして、武藤となった真田昌幸は、武田信玄の元で軍略の限りを学びます。





武藤喜兵衛(真田昌幸)は、非常に優れている!



武藤は我が目と言っても良い!
その後、信玄がもう少し長生きすれば、信玄近習から侍大将となり、活躍するはずだった武藤喜兵衛(真田昌幸)。
武藤家をついだ真田昌幸が、「真田に戻った理由」。
それは、武勇に優れた兄たちが「長篠の合戦で討死したため」でした。


その後、一時は戦国一とも言われた武田家がどんどん凋落するのを、目の当たりにしてきた真田昌幸。
武田勝頼が追い詰められた時は、自らの居城 岩櫃城に勝頼を迎え入れ、徹底抗戦することを申し出ていました。


外様であった真田を信用できず、身内の小山田信茂を頼った勝頼。
最後はあっさり小山田に裏切られ、天目山で自刃します。



ワシの城に来れば、1年以上堪えたられたものを・・・・・
悔やむ昌幸。
その後、「やむを得ず」滝川にしたがっていました。
武田信玄譲りの戦国指折りの諜報力を持つ真田家。
乱破を四方八方に派遣し、情報収集します。



滝川と北条、どちらを選ぶか・・・・・
悩む真田昌幸でした。



地元を押さえ、智将の名高い真田昌幸が
いるのは、心強い!