滝川一益 6〜北条家の狙い〜|関東の王のプライド

前回は「滝川一益〜北条家の動き〜」でした。

滝川一益(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研

織田家の関東方面軍司令官・滝川一益に従属していた北条家。

本能寺の変で信長・信忠が自刃に追い込まれた事実を掴みます。

本能寺の変 1(歴史道vol.13 朝日新聞出版)

ここで、プライド高い北条氏政。

北条 氏政(Wikipedia)

関東の王は俺だ!

滝川ではない!

織田家との断交を決断します。

ここぞとばかりに、滝川一益と断交し、北関東へ一気に勢力拡張を図ります。

そもそも上野周辺の関東北部は30年ほど前は「北条家のものだった」のです。

その後、上杉謙信が突然関東に乱入してきたり、武田信玄が駿河に侵攻したりでゴタゴタしました。

関東・甲信勢力図 1555年(歴史人 2020年11月号掲載図から一部抜粋

一度は関東北部を手中に入れた北条家は、上杉家を継いだ、上杉謙信に大きく領土を削られます。

関東・甲信勢力図 1561年(歴史人 2020年11月号掲載図から一部抜粋

その後、長野業政が西上野に勢力をはっていました。

業政に手こずっていた信玄が、業政死後に上野に進出してきて、上野は武田に奪い取られてしまったのです。

桶狭間の合戦後の武田・今川・北条三国同盟(別冊歴史人 戦国武将の全国勢力変遷地図 KKベストセラーズ)

一度は三国同盟を結んでいた武田・北条・今川家。

1560年の桶狭間の合戦で今川義元が討たれて今川家が凋落します。

桶狭間の合戦後の上杉・今川・北条三国同盟(別冊歴史人 戦国武将の全国勢力変遷地図 KKベストセラーズ)


本来、今川家を一緒に支えなければならないのに、海を目指して今川と断交した武田信玄。

この煽りを受けて、戦国時代の先駆け的存在であった始祖 北条早雲以降、少しずつ関東に勢力を伸ばした北条家でした。

北条 早雲(Wikipedia)

もともと北関東は、
俺たち北条のものだ!

返してもらうぜ!

大軍を率いた北条氏政は、滝川領へ一気に押し寄せてゆきます。

なんと・・・・・

北条が
裏切っただと・・・・・

北条家よりもはるかに寄騎の少ない滝川一益は、絶体絶命となります。

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