前回は「滝川一益〜北条家の動き〜」でした。

織田家の関東方面軍司令官・滝川一益に従属していた北条家。
本能寺の変で信長・信忠が自刃に追い込まれた事実を掴みます。

ここで、プライド高い北条氏政。


関東の王は俺だ!



滝川ではない!
織田家との断交を決断します。
ここぞとばかりに、滝川一益と断交し、北関東へ一気に勢力拡張を図ります。
そもそも上野周辺の関東北部は30年ほど前は「北条家のものだった」のです。
その後、上杉謙信が突然関東に乱入してきたり、武田信玄が駿河に侵攻したりでゴタゴタしました。


一度は関東北部を手中に入れた北条家は、上杉家を継いだ、上杉謙信に大きく領土を削られます。


その後、長野業政が西上野に勢力をはっていました。
業政に手こずっていた信玄が、業政死後に上野に進出してきて、上野は武田に奪い取られてしまったのです。


一度は三国同盟を結んでいた武田・北条・今川家。
1560年の桶狭間の合戦で今川義元が討たれて今川家が凋落します。


本来、今川家を一緒に支えなければならないのに、海を目指して今川と断交した武田信玄。
この煽りを受けて、戦国時代の先駆け的存在であった始祖 北条早雲以降、少しずつ関東に勢力を伸ばした北条家でした。





もともと北関東は、
俺たち北条のものだ!



返してもらうぜ!
大軍を率いた北条氏政は、滝川領へ一気に押し寄せてゆきます。



なんと・・・・・



北条が
裏切っただと・・・・・
北条家よりもはるかに寄騎の少ない滝川一益は、絶体絶命となります。