前回は「滝川一益 4〜遊撃軍から方面軍司令官へ・関東管領へ・急展開する運命・関東制圧目論む北条氏政・風魔の諜報〜」でした。

急速な出世から暗転した人生

信長に仕え続けて20年以上の滝川一益。
かなり早い時期から「織田家宿老」として「重きをなしてきた」存在でした。

ところが、歳上で家柄が良い柴田勝家は仕方ないとしても、年下の秀吉・光秀に出世競争では抜かれました。
名前 | 生年(一部諸説あり) |
柴田勝家 | 1522年 |
滝川一益 | 1525年 |
明智光秀 | 1528年 |
織田信長 | 1534年 |
丹羽長秀 | 1535年 |
羽柴秀吉 | 1537年 |
類まれなる軍事能力・調略能力を合わせ持ち、性格がマイルドで落ち着いた感じだった滝川一益。

戦いというのは、
全力を投入したいが、常に予備軍が必要だ・・・
「四面楚歌」であり続けた織田家では、常時各方面で戦いが発生してきました。



滝川は遊撃軍には
最も最適な人材だ!
「ここぞ!」という時には、全軍を投入する「思い切り」が大事な合戦・戦い。
その一方で「戦力を温存しておく」ことも大事です。
「温存された戦力」は、前線で戦っている部隊とは異なり、怪我が少なく、体力も温存されています。
そして、「温存された戦力=遊撃隊」を投入して、「一気に勝つ」のは、戦巧者・信長の一つのセオリーでした。
この戦略・戦術で、姉川の戦いなどの大きな戦いを「制してきた」信長。



一益は、長年
本当によく余に仕えてきた・・・



長年、余に仕えてきた一益にも、
方面軍司令官を任せてやろう・・・



一益よ!
関東管領となり、関東方面軍司令官となれ!



はっは〜!
お任せを!
安定した立場から、一気に運命が暗転した滝川一益。



まさか・・・
その原因は、本能寺の変でした。


北条家のプライド:関東の王としての自負


従属したばかりの北条家は、そもそも「関東の王」として非常に高いプライドを持っていました。
北条家初代早雲(当時は、伊勢)は、いわば「戦国時代の先駆け」ともいうべき存在です。
北条家(伊勢家)の家柄は諸説ありますが、「時代を牽引してきた」自負があります。


さらに、北条家は北条氏政・氏直時代に大きく勢力を拡張した事実があります。
氏政は、大大名の後継者として、政治的能力が高い人物でした。
これは、氏康時代に武田信玄・上杉謙信という超強敵が「関東でのさばっていた」のが最大の理由です。
氏康が大変な苦労をしたことに対して、氏政時代には、それほど強敵が関東にいなかったのです。
とはいっても、佐竹義重のようなうるさい大名もいました。
「大大名家の当主」として相応の能力があった氏政。
すでに関東の名家となった北条家の四代目として、かなり高いプライドを持っていました。



我が北条は、
名家なのだ!



信長の織田家は、
もともと守護代の家臣だろう!



織田家なんか、
大した家柄ではないのだ!



おい!
我が北条家は「関東の王」だ!
光る北条氏政の瞳:名将の父・氏康を継ぐ者が選ぶ道


武田信玄、上杉謙信とも伍す名将であった父・氏康。
早雲・氏綱・氏康に続き、関東の帝王となった北条家。



こんなことが、
起こるとは・・・



大変な事態だが・・・



徳川と北条が近くにいるので、
大きな問題なし!
大した家柄でもない織田家に嫌々従属して、武田家討滅に力を貸したものの大した恩賞が得られず、
イライラが募っていた北条氏政。



武田を叩き潰すのを
助けてやったのに・・・



信長は、
我が北条を無視した!



我が北条を
なんだと思っているのだ!
実際、信長にとって北条家は、「単なる比較的大きな一地方勢力」だったでしょう。



私は名将である父・氏康を
継いだものなのだ!
優れた忍者集団・風魔を抱えていた北条家は諜報力抜群。
本能寺の変で信長のみならず、信忠までも自刃に追い込まれた事実を掴みます。
氏政様。
確かに信長は死んでおります・・・



信長は間違いなく
死んだのだな!
はっ。
さらに長男で後継であった信忠までも自刃しました・・・



そうか・・・
信長あっての織田家。



信長のいない織田家なんか、
怖くないわ!



信長のみならず、
長男信忠までこの世から消えては・・・



織田家は、
空中分解するしかない。



ならば・・・・・
氏政の瞳が、光ります。



我が北条の選択すべき
道は一つだのう・・・