智清将・竹中半兵衛の真髄〜半兵衛のその後の歴史への強い影響・冴える軍略と采配・秀吉の中国攻め・半兵衛の総決算・三木城の采配・最後は陣中で〜|竹中重治3・人物像・能力

前回は「智清将・竹中半兵衛の飛躍〜稲葉山城奪取と織田信長の誘い・織田信長の美濃侵攻・十面埋伏の計・羽柴秀吉の寄騎へ・竹中半兵衛と黒田官兵衛の二兵衛・黒田長政を守った半兵衛〜」の話でした。

竹中重治(図説・戦国武将118 学研)
目次

冴える軍略と采配:秀吉の中国攻め

黒田孝高・官兵衛(図説・戦国武将118 学研)

竹中殿の恩は、
生涯忘れぬ。

黒田長政(図説・戦国武将118 学研)

竹中家に何かある時は、
今度は黒田が助けよう!

黒田孝高の息子・松寿丸(後の長政)を救った重治。

恩にきた黒田長政は、のちに竹中家を救うことになります。

羽柴秀吉(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

ところが、彼には残りの時間が少なくなっていました。

もともと体が弱く、労咳(結核)を患っていた重治。

自らの人生の総決算として、秀吉の中国攻めに知恵を出します。

私の人生も、
残りわずか・・・

半兵衛が
いなくなっては、困る!

私の最後の
軍略・采配を振るいます・・・

別所長治の三木城攻めでは、難攻不落であったため、兵糧攻めを秀吉に献策します。

三木城を
完全封鎖しましょう。

それは良い案じゃ。
さすが半兵衛!

しかし、
どうやって?

私に
全てお任せを!

任せた!

半兵衛の総決算・三木城の采配:最後は陣中で

三木城完全包囲(歴史人2018年1月号 KKベストセラーズ)

そして、三木城を完全に封じ込める陣立てを作ります。

「智清将」竹中重治の本領発揮です。

三木城を完全包囲し、さらに兵糧の遮断作戦も実行し、完璧な作戦を行います。

これ以後も秀吉は様々な城攻めで、包囲・兵糧攻めを行います。

この三木城攻略において、基礎を確立しました。

なるほど。
このように包囲すれば、城は完全包囲・封鎖できるな。

このやり方で、
落とせぬ城はないだろう。

そして、半兵衛・重治の助力により、「秀吉流攻城戦」の一つの到達点をつくりました。

三木城の兵糧遮断作戦(歴史人2018年1月号 KKベストセラーズ)

ゴホ、
ゴホ・・・

かねてから病気がちだった竹中重治は、いよいよ病状が悪化します。

半兵衛よ。
今は治療に専念してくれ!

お前には
まだまだ活躍してもらいたいのだ!

私の生命は、
私が最も分かっております・・・

秀吉の療養の指示を拒否し、病の体を押して戦闘の前線に行った半兵衛。

最後は
陣中にいさせてください・・・

半兵衛・・・

そして、36の若さで陣没してしまいます。

半兵衛を失った、秀吉。

困った・・・
非常に優れた男であったが・・・

もともと家臣団の層が薄い羽柴家。

蜂須賀 正勝(Wikipedia)

弟である羽柴秀長・蜂須賀正勝など、有能な家臣は多かった羽柴家。

その羽柴の家において、半兵衛の存在はずば抜けていました。

ここで、半兵衛の代わりであるかのように、黒田官兵衛が戦略を補佐します。

私が、
半兵衛殿の代わりに・・・

兵衛・官兵衛と続き、知略優れた二人は「二兵衛」と呼ばれます。

半兵衛のその後の歴史への強い影響

重治が信長の命令を無視して救った、黒田松寿丸=長政。

長政は後に関ヶ原の合戦で、戦場と調略で大活躍します。

私は
調略が大得意!

父・如水譲りの調略の手腕を発揮し、福島正則らを家康側に引き込み、東軍勝利の立役者となります。

もし重治が信長の命令通り長政(松寿丸)を殺害していたら、この歴史はなくなります。

関ヶ原の合戦は、また違った様相になったでしょう。

徳川 家康(Wikipedia)

重治・半兵衛は、秀吉を助けて後に天下人にしただけではなかったのでした。

黒田長政を通じて、間接的に「家康の天下取り」にも大きく関与していることになります。

豊臣 秀吉(Wikipedia)

秀吉が天下を取った時、有り余る知謀と野心を警戒された黒田孝高。

切れ者の黒田は、
危険だ・・・

黒田は、その大きな功績に比すると「小さすぎる12万石の領土」を与えられます。

そして、中央から離れた豊前を領します。

12万石が
せいぜいだろう・・・

奴に50万石でも与えようものなら、
周辺を切り取ってしまう・・・

・・・・・

もし、竹中重治が長寿であったら秀吉はどう遇したでしょうか。

野心がない重治であっても、秀吉はやはり同等の12〜15万石程度にしたと思います。

ワシの世となったからには、
半兵衛も危険人物・・・

・・・・・

だが、半兵衛は官兵衛と違って、
野心が少なそうだ・・・

領土は、
中央付近でもかまわないか・・・

重治は、自分の育った美濃を強く所望するでしょう。

私は生まれ育った
美濃が良いです・・・

秀吉が若き日からそばで支えてくれ、その功績は黒田孝高とは比較にならないほど大きな重治(半兵衛)。

この重治の要望を、秀吉も無碍に拒否はできないでしょう。

そして、重治は西美濃を領したでしょう。

半兵衛と官兵衛(黒田)では、
わしに対する貢献度が全然違う。

半兵衛の言うことは、
無碍にはできんわ!

ならば、ここでまた関ヶ原の合戦は大きく変わりそうです。

関ヶ原合戦時、西美濃に15万石程度を領する竹中重治・半兵衛が健在であったら。

半兵衛は、当然西軍に所属したでしょう。

そして4000〜5000人ほどの軍を重治・半兵衛が率いていたら、小早川秀秋の軍勢を突き崩したでしょう。

そもそも、「東軍勝利の立役者」である黒田長政の動向も変わるでしょう。

「ifの歴史」ですが、面白そうです。

あまりに早く早世した智清将 竹中重治・半兵衛。

秀吉はじめ大勢の将士に惜しまれるも、とても大きな足跡を戦国の世に残しました。

新歴史紀行

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