前回は「高杉晋作 3〜薩英戦争と晋作〜」の話でした。

英国からすると「勝手に英国の民間人に切り付けて、死傷者を出した」薩摩藩。
さらに「一向に犯人探し、賠償金の支払いに応じない」薩摩藩。


Satsumaは、共和国のような日本の、一つの国・州だろう?



Satsumaが、我が大英帝国に喧嘩を売るのか?



よく分かった!
思い知るが良い!
大英帝国の東洋艦隊が、薩摩に向かってきて、戦争になります。


薩摩にやってきたのは、大英帝国の東洋艦隊でした。
主力部隊ではないとはいえ、当時世界最強の国家であり、「海軍の大英帝国」です。
世界最強の大英帝国と、一つの藩にすぎない薩摩藩が戦争するという前代未聞の「薩英戦争」に至ります。



中国との戦争は、楽勝だった。



日本の一つの国・藩であるSatsumaが相手では、
もっと楽勝か?
準備万端で迎撃した薩摩藩は、英国に想定外の反撃を与えるます。
英国の船長等が戦死し、人的損害は英国の方が多かったのです。



なんだと?



文明の劣る日本に、ここまで反撃されるとは・・・



日本人は、戦闘民族なのか?
薩摩は市街地を大きく焼かれ、痛み分けとなります。
この前後の時期、優等生的存在で藩の人望も厚かった久坂玄瑞。
藩から謹慎を命ぜられるなど挫折しながらも、長州藩の中心で藩論をまとめていました。


松下村塾において、高杉と並んで「双璧」として吉田松陰に極めて高く評価されていた久坂玄瑞。


高く評価されたのみならず、吉田松陰の妹を妻にもらいます。
いわば、松下村塾において「別格」であった久坂玄瑞。
この久坂が、いよいよ歴史の表舞台に殴り込みをかけます。