前回は「武田信玄 10〜川中島への信玄の思い 1〜」の話でした。

武田軍20,000と上杉軍13,000が、よくこの狭いエリアに滞陣できたと不思議なくらいです。

5度に渡って死闘が繰り広げられた、川中島の戦い。
それぞれの年は、下の表です。
川中島第N次の戦い | 年 |
1 | 1553 |
2 | 1555 |
3 | 1557 |
4 | 1561 |
5 | 1564 |
1553年から1564年にかけて、行われています。
最初に武田と上杉がぶつかった、1553年。
その時、武田は北条・今川と甲相駿三国同盟を結んでいました。

この図を見ると東:北条氏と南:今川氏と同盟を結んでいる以上、北か西に進出するしかありません。
美濃の斎藤家と武田家の関係は、あまり触れられたことがないですが、それほど交渉していた形跡もなさそうです。
村上義清とは何度も戦い、死闘を続けた武田。
1548年には、武田家の両識と呼ばれ、両翼とも言える甘利虎泰・板垣信方が戦死する大敗北となりました。

甘利・板垣が討死だと・・・



なんと・・・
さらに、1550年に村上義清と再度戦って「砥石崩れ」と言われるほどの大惨敗となりました。



これほどの
大惨敗になるとは・・・
その後、やっと村上義清を北信濃から追っ払った信玄。
義清を補足することはできず、義清は長尾景虎を頼った経緯があります。





頼られれば、
私は保護するぞ!
この経緯から、信玄としては「憎んでも憎みきれぬ」村上義清。



村上は絶対に、
完膚なきまで潰す!
義清を保護する長尾景虎にとっては、武田は「打ち破らなければならない」相手であったのでしょう。



長尾が、
村上を保護するだと!