前回は「武田信玄 9〜景虎を甘くみた信玄 5〜」の話でした。

今回は武田信玄が、なぜあれほどまでに川中島に拘ったのかを考えます。

春日山城から程近く、売られた喧嘩を買った長尾景虎(上杉謙信)。

なんとしても武田信玄が川中島を占領するのを防ぎたかったのでしょう。
武田信玄は5度も川中島へ侵攻し、最後は痛み分けに近いものの、その領土をある程度確保します。
そして、武田は「やや勝ち」に持っていきます。
しかし、その代償は極めて大きなものとなりました。

後世には、景虎が戦国最強の軍神であることがわかりますが、当時、景虎の能力は未知数でした。

全身全霊で、武田と戦う!
武田信玄は9年年下(学年としては8年)の謙信を相手にした時、「自分の方が上」だと確信していたのでしょう。



景虎は、9歳も年下の小僧!



ワシの采配に叶うはずがない!
結果的に、時間とエネルギーの多大な消耗に加え、かけがえのない家臣と将卒を失うことになります。


この図を見ると、いつも同じようなところで戦っているのがわかります。
この狭い世界で、双方合計3万以上の軍勢が何度も何度も戦ったこと。
それは、日本の歴史においては、非常に稀有なことでした。





何がなんでも、
川中島が欲しい!
と考えた晴信。
それは、単なる「領土拡張への意欲」では説明しきれない、執拗な執念があると考えます。