武田信玄 5〜景虎を甘くみた信玄 1〜|戦国武将

前回は「武田信玄 4〜海を目標に南下を決断する信玄〜」の話でした。

武田晴信(信玄)(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

その後の武田家の流れを考える時、長男義信を切腹に追い込んだのは、武田家にとって致命傷となりました。

義信を自刃に追い込まずに、武田晴信(信玄)の後を長男である義信が継いだならば。

その時、武田家の最後は、あのような凋落にはならなかったでしょう。

そして、第四次川中島で戦死した典厩信繁が「義信事件」のこの時存命だったら。

典厩信繁は、命を張ってでも義信を守ったでしょう。

信繁と義信二人がタッグを組んだら、家中統制上、流石の晴信も手の出しようがなかったでしょう。

武田信繁(Wikipedia)

そもそも、出陣して相手と総力戦を行う以上、晴信とて命の保証はなかったはずです。

戦の際に本陣が安全であっても暗殺の危険もあります。

その危険な地に、無二の腹心である弟の信繁まで出陣させたのは、晴信の大失敗でした。

山本勘助(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

第四次川中島では、山本勘助・諸角豊後守など多くの有力武将が戦死しています。

武田家にとって、「致命傷」となる事態を招く可能性があった「川中島の戦い」。

なぜ、晴信は大きな犠牲を払う可能性があったのに、何度も川中島に侵攻したのでしょうか。

関東・甲信勢力図 1555年頃(歴史人 2020年11月号掲載図から一部抜粋)

甲斐国内で武田家内の紛争が続き、晴信の父信虎の代に、ようやく晴信の属する武田家で固めた甲斐。

そして、晴信は他国侵攻を目論みます。

「東に北条・南に今川」という状況の中、諸勢力乱立の信濃。

そして、領土が広いこともあり、石高20万石程度の甲斐に比べて、倍の40万石をもつ信濃。

信濃奪取こそ、
武田家の生きる道!

隣国信濃に、晴信は目をつけます。

晴信にとって、最初に他国へ侵攻した侵攻先だった信濃。

諸説ありますが、

とにかく信濃を固め、
武田家、そして私の武威を示したい!

と考えた晴信。

「信濃の全土制圧」は晴信の悲願だったのです。

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