前回は「武田信玄 3〜越後の龍との死闘〜」の話でした。

1560年の桶狭間の戦い後、凋落した今川家。
兼ねてから評判が、非常に悪かった今川義元の後継の今川氏真は、弔い合戦すらしようとしません。
今川に「従属」というよりも「臣従していた」に近い状況であった松平元康が反旗を翻して独立大名となります。
そして、義元の元を捨て、徳川家康と名乗ります。


もはや今川家は持たない。



ならば、我が武田が今川の領土を頂こう!



そして、念願の海を手に入れよう。
今川家との断交を考える晴信。
それに対して、反対したのは長男の武田義信。
三国同盟の際に、今川義元の娘を正室に迎えている義信からすれば、断交に反対するのは当然のことでした。
義信には、父信玄の発想は理解できません。
なぜ、そんな非道を考えるのですか?



戦国の世は、弱肉強食なのだ!



わきまえよ!
嫌です!断固反対です!



ならば・・・・・
仕方ない・・・・・
信玄は断固反対する義信を、切腹に追い込んで、今川と断交します。


信玄は武田・北条・今川の三国同盟を破棄・今川家と断交し、南下して「念願の海」を手に入れようと企みます。


これに怒り心頭だったのが、三国同盟の一角だった北条氏康。





信玄め!血迷ったか!
北条家は、公然と武田家と敵対します。
北条家は今川家との同盟を維持し、新たな対策を考える氏康。



武田をブチのめすためには・・・



憎いやつだが、
アイツしかいない・・・
関東管領を継いだ長尾景虎改め、上杉政虎に白羽の矢を立てます。
新たに武田家と敵対関係にある上杉家と同盟を結び、信玄と対抗しようと考えます。


この少し前には、上杉政虎に小田原まで攻め込まれて、北条家は一時は滅亡寸前まで追い込まれました。
上杉政虎に対しては憤懣やるせない氏康。



上杉政虎と結ぶとは・・・



北条のプライドが許さんが・・・



それよりも、晴信が許せん!!
しかし、そんなことは言っていられません。
政虎に侵食された関東は、政虎が越後に帰ると「鬼のいぬ間に」と北条は再び関東の勢力圏を大きく取り戻しました。
「敵の敵は味方」と言わんばかりに、信玄と鋭く敵対する政虎との同盟交渉を進めます。
そして、因縁の政虎と結んだ氏康。



信玄が選んだ「今川との断交」、絶対に許し難い!



今川領を切り取れ!
駿河を手に入れた信玄は、得意の絶頂だったでしょう。



徳川家と領土を折半するのだ!
長尾(上杉)と戦うために、「後背を固める」意図で成立した三国同盟。
晴信は、この同盟を自ら潰し、武田家は北条・今川・上杉に包囲された形になります。



念願の海と海運が我が手に!
勇躍した晴信は、織田・徳川と結んで、今川領に侵入します。


しかし、その後の武田家の運命を考える時、長男義信を切腹に追い込んだのは、武田家にとって致命傷となりました。