前回は「飛武神・柴田勝家の奮戦〜武闘派の帝王の風格・上杉謙信との死闘・手取川の大敗戦・本願寺一向一揆との死闘〜」の話でした。
織田家の最強の敵だった本願寺
柴田軍団の北陸方面軍誕生以前に、信長は一向宗門徒の一揆軍団に煮湯を飲まされ続けています。
一向宗門徒
たちめ・・・
織田信長の「最強の敵」と言われることが多い、武田信玄及び武田家の騎馬隊・軍事能力。
我が武田家の軍事能力は、
最強なのだ!
実際、信長に脅威を与え続けた武田信玄でしたが、
武田殿、同盟を
結びましょう!
常に「上から目線」の織田信長が異常な低姿勢で、武田家に臨み、長らく同盟を結んでいました。
そのこともあり、信長・織田家にとって、武田信玄からの「直接の実害」は大したことがありませんでした。
武田信玄と手切となった後に、東美濃を攻略され、一時的に周辺は武田領になりました。
信長としては、
尾張と美濃には
敵の手に触れさせたくなかった・・・
のが本音でしたが、全体的には軽微であったと言って良いでしょう。
それに対して、本願寺及び門徒衆を率いた顕如。
仏敵・織田信長を
滅亡させよ!
それこそが、
天国へゆける手段なのだ!
信長が本願寺に対し「強行姿勢で臨んだこと」もあり、当初から関係はこじれ続けて、
信長及び
織田家を滅せよ!
門徒衆たちは、織田家を攻撃し続け、信長の弟・信興や子飼いの森可成などが討死しています。
おのれ、
本願寺め!
宗教によって結びつけられた軍勢は、
異常に強い・・・
長島願証寺との戦いには、大きな時間とエネルギーが注がれ、大変な苦労をしました。
織田家の軍団が大打撃を受けつつも、信長は、なんとか長島願証寺を叩き潰します。
一向宗の本拠地加賀への軍事作戦:織田家猛獣軍団
我が本願寺発祥の
地は加賀だ!
今は、大坂(大阪)を
本拠地とし、信長に徹底抗戦だ!
大坂の本願寺門徒どもを
なんとかせねば・・・
大坂の本願寺は、
強力な寺内町を作り、長期戦になりそうだ・・・
信盛よ!
大坂の本願寺を潰せ!
ははっ!
お任せを!
のちに信長に追放され、「無能」の烙印を押されている佐久間信盛。
実際には、桶狭間の戦いの頃から佐久間一族は、尾張の最有力豪族・国人でありました。
そして、長年にわたり、織田家の軍事力を支え続け、最終的に本願寺を屈服させた佐久間信盛。
彼の能力は不当に低く評価されているのが実態であり、相応の優れた将でした。
さてと・・・
本願寺めの本拠地の加賀をなんとかせねば・・・
朝倉義景めも
消したしな・・・
「目の上のタンコブ」であり続けた、朝倉義景を討滅した信長。
越前の次は、
隣国の加賀だ・・・
だが、本拠地は大坂に移動したとはいえ、
加賀は本願寺の発祥の地・・・
猛烈な抵抗が
あるだろう・・・
我が織田家で、加賀侵攻ができるのは、
権六、お前だけだ!
私めが、北陸の本願寺本拠地を叩き潰して
ご覧に入れます!
北陸方面という「一向宗の根城」を叩き潰すには、突破力ある柴田勝家がベストでした。
そして、織田家には他に適任者がいなかったのが実情でしょう。
そして、目付役とはいえ、勇猛で鳴る佐々成政、前田利家たちも柴田勝家の寄騎となります。
佐々成政は、のちに秀吉に切腹させられたこともあり、あまり評価が高くないです。
彼の猛烈な軍事力は、山県昌景にも引けを取らない、猛烈なパワーを持っていました。
俺の勇猛さを
見せつけてくれる!
佐々成政・佐久間盛政という、戦国切っての突破力を持つ武闘派大名を従えた柴田勝家。
「織田家の猛獣軍団」が誕生した瞬間でした。
柴田勝家は、北陸を猛進します。
内政にも長じた飛武神:北陸王へ
「織田家の猛虎たち」を集めたような柴田軍団は猛烈な勢いで北陸を席巻し、織田家の領土を一気に広げてゆきます。
武闘派 勝家は内政面でも能力を発揮し、「一向宗の根城」という極めて難治な土地を丁寧に納めてゆきます。
権六よ。
加賀・越前をしっかり治めよ!
お任せを!
武力で征服したとしても、「一向宗に帰依している」門徒たちを懐柔し、治めるのは非常な苦労でした。
私が得意なのは、
軍事だけではない。
内政の能力にも、
ある程度長けているのだ。
軍事力のみならず、政治的才能を持っていた飛武神・柴田勝家。
調略は、
不得意だ・・・
ああいう裏方の仕事は、
猿(秀吉)がやっておれば良い・・・
ふん!
自分が出来ぬくせに、威張りおって!
秀吉とは、険悪というより「最悪の仲」であった勝家。
外交や折衝も、
あまり得意ではない。
ああいうのは、
光秀あたりがやっておれば良い!
勝家殿。
光秀も協力いたしますぞ・・・
光秀との関係は、あまり伝わってきませんが、比較的良好だったように思います。
光秀は、新参者だが、
礼儀はわきまえておる・・・
名前 | 生年(一部諸説あり) |
柴田勝家 | 1522年 |
滝川一益 | 1525年 |
明智光秀 | 1528年 |
織田信長 | 1534年 |
丹羽長秀 | 1535年 |
羽柴秀吉 | 1537年 |
柴田勝家は、明智光秀の6歳年上、羽柴秀吉の15歳年上です。
そもそも、羽柴秀吉とは年齢差があり過ぎて、「同格とは考えたくない」相手です。
ワシは、戦闘力抜群で、
内政・政治力も相応の自信がある!
織田家四天王筆頭であるだけではなく、勝家は当時の日本において、稀有な能力を持つ人物だったのです。
ワシが
北陸を治めてみせる!
次回は上記リンクです。