前回は「柴田勝家 3〜卓抜した戦闘力と統率力〜」の話でした。

戦国時代の武闘派武将を考えましょう。
上杉謙信が兄から家督を継いだ、いわば「生まれながらの大名」です。

それに対し、家臣のレベルでは柴田勝家は突出した能力と、帝王たる風格を持っているでしょう。
柴田勝家率いる北陸方面軍による、北陸侵攻戦の地図です。
北陸方面軍が、越前から北陸をズババッと猛烈な勢いで、突き進んでいる様子が分かります。

この突破力は、柴田率いる佐々・佐久間・前田たちの軍勢のみが、成し得る力です。
精鋭揃いの織田家といえども、成し遂げることは不可能だったでしょう。

織田家筆頭の、戦国最強の私だからこそ
出来たのだ!


手取川の戦いで上杉謙信に惨敗していますが、他の戦闘では概ね勝利を収めています。
相手が謙信とはいえ、手取川の戦いでの惨敗は「勝家らしくない」敗北っぷりでした。





戦国最強は、私なのだよ。
北陸の入口である加賀・越前は、他の国や地域との大きな違いがあります。
一時的とはいえ「本願寺・一向宗の占領する国になった」ことがあることです。


武田や上杉も強敵ですが、宗教の力によって束ねられ、数多くの鉄砲を持つ本願寺勢力。
「敵としては悪すぎる」相手です。



仏敵・織田信長を
滅亡させよ!



それこそが、
天国へゆける手段なのだ!
戦場での猛烈な突破力は、織田家にとって「なくてはならない武の要」であり、西の立花道雪と伍する武の帝王でした。
その一向一揆たちをねじ伏せる「北陸司令官」として、織田家の中で最強の武闘派指揮官として柴田勝家が選ばれました。
仮に秀吉や光秀が、北陸方面司令長官だったとしたら、どうだったでしょうか。


彼らの能力ならば大きな成果を挙げたでしょうが、調略するにも相手が一向宗門徒では調略しようがないでしょう。


そして、秀吉・光秀お得意の包囲戦ではかなりの長期戦となったでしょう。


いわば「柴田勝家にしか成し得ない」大いなる仕事を、信長に任された柴田勝家。



あの一向宗門徒どもと戦うのは、
権六(勝家)しか出来ぬわ!



猿やキンカンアタマ(光秀)では、
無理だ!
武田家・上杉家・徳川家などより、比較的智将肌の武将が多い織田家でした。



一向宗門徒を叩き潰し、
織田の世をつくるのだ!
その織田家において、飛ぶように突き進む凄まじく高戦闘能力を持った勝家を「飛武神」と呼びたい。