柴田勝家 3〜卓抜した戦闘力と統率力〜|北陸方面軍

前回は「柴田勝家 2〜武闘派の帝王1〜」の話でした。

柴田勝家(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

勝家の卓抜した戦闘能力・統率力の話です。

織田家「北陸方面軍」の司令長官に任命された柴田勝家。

柴田に準ずる武闘派である佐々成政・佐久間盛政・前田利家らが寄騎としてつけられます。

そして、「織田家最強・最凶軍団」が誕生しました。

佐々成政(歴史人2016年12月号 KKベストセラーズ)

佐々成政・前田利家・金森長近らの寄騎武将は、信長からは「柴田勝家の目付役」としての役割を指示されていました。

織田信長(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

いわば「監視役」です。

本能寺の変当時は、各方面に形成されていた方面軍。

勝家が司令長官の北陸方面軍は、「最初の方面軍」とも言えます。

かなりの軍勢と強権を与えられた勝家。

信長が警戒して、見張り役をつけるのは当然でした。

権六(柴田勝家)を
しっかりと見張れ!

ははっ!

佐々成政とは、柴田はもともと仲良しでした。

佐々・佐久間・前田のような荒武者を統御することは、前田と羽柴の特別な関係を除き、他の司令官では無理でしょう。

羽柴秀吉(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

特に佐々・佐久間と羽柴秀吉は折り合いが最悪に近い関係です。

また、佐々・佐久間らが、新参者で知性派の明智光秀と親和性があるとは、到底思えません。

年長者で兼ねてから織田家の宿老である滝川一益ならば「まあ従っても良い」くらいでしょう。

佐久間盛政(歴史人2016年12月号 KKベストセラーズ)

俺たちが従うのは、信長様以外には、
柴田のオヤジだけだ。

猿(秀吉)なんかに従えるかよ!

この顔ぶれを見ただけでも信長がこの北陸方面軍に「何を期待したのか」が一目瞭然です。

まさに織田家の猛将ならぬ「猛獣軍団」とも言えます。

家柄も良く、織田家譜代の、
この佐々成政の武力を見よ!

柴田勝家率いる北陸方面軍が越前から北陸を侵攻戦では、この軍団がズババッと突き進んでいる様子が分かります。

彼らによって形成された「北陸方面軍」は猛烈な突破力で、顕如率いる一向一揆を次々と撃破します。

そして、北陸を突き進んで行ったのでした。

柴田勝家の北陸侵攻(歴史群像シリーズ51 戦国合戦大全下巻)

しかし、手取川の戦いで上杉謙信に対して惨敗します。

いくら相手が謙信といっても、勝家らの能力と経験を考えると不自然なくらいです。

上杉謙信率いる上杉軍団が「強すぎた」とも言えるでしょう。

上杉謙信(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

この時は、秀吉と勝家が喧嘩して、秀吉が軍隊を独断で勝手に引き上げます。

猿めが、私の命令に反して、勝手に軍を
引き上げただと!

ははー!
信長様、お許しを!

しばらく謹慎しておれ!

信長様は、
私を必要としているはず!

信長から怒りを買ったものの、格別なお咎めを受けていません。

突破力で突進を続け、上杉謙信亡き後、大きく弱体化した上杉家も追い詰めていった柴田勝家。

数々の猛将を率いた人物として上杉謙信・島津義弘らが挙げられますが、彼らは大名格です。

島津義弘(図説・戦国武将118 学研)

方面軍軍団長とは言え、織田家の一家臣の立場で佐々・前田・佐久間ほどの猛者たちを部下としてきちんと統率します。

それが出来たのは、勝家の高い力量を示します。

私こそが、
織田家筆頭なのだ!

猿だの、光秀だのは、
私の下なのだ!

後に秀吉に、打倒される柴田勝家。

これだけの武将を従え、自らの地盤とは全く関係のない国で、顕如率いる一向宗門徒相手に強力に勝ち進みます。

本願寺顕如(Wikipedia)

そして、大きな領土を支配した柴田勝家。

勝家は、卓抜した武力と統率力を併せ持つ「武の帝王」と呼べるでしょう。

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