前回は「柴田勝家 2〜武闘派の帝王1〜」の話でした。

勝家の卓抜した戦闘能力・統率力の話です。
織田家「北陸方面軍」の司令長官に任命された柴田勝家。
柴田に準ずる武闘派である佐々成政・佐久間盛政・前田利家らが寄騎としてつけられます。
そして、「織田家最強・最凶軍団」が誕生しました。

佐々成政・前田利家・金森長近らの寄騎武将は、信長からは「柴田勝家の目付役」としての役割を指示されていました。

いわば「監視役」です。
本能寺の変当時は、各方面に形成されていた方面軍。
勝家が司令長官の北陸方面軍は、「最初の方面軍」とも言えます。
かなりの軍勢と強権を与えられた勝家。
信長が警戒して、見張り役をつけるのは当然でした。

権六(柴田勝家)を
しっかりと見張れ!



ははっ!
佐々成政とは、柴田はもともと仲良しでした。
佐々・佐久間・前田のような荒武者を統御することは、前田と羽柴の特別な関係を除き、他の司令官では無理でしょう。


特に佐々・佐久間と羽柴秀吉は折り合いが最悪に近い関係です。
また、佐々・佐久間らが、新参者で知性派の明智光秀と親和性があるとは、到底思えません。
年長者で兼ねてから織田家の宿老である滝川一益ならば「まあ従っても良い」くらいでしょう。





俺たちが従うのは、信長様以外には、
柴田のオヤジだけだ。



猿(秀吉)なんかに従えるかよ!
この顔ぶれを見ただけでも信長がこの北陸方面軍に「何を期待したのか」が一目瞭然です。
まさに織田家の猛将ならぬ「猛獣軍団」とも言えます。



家柄も良く、織田家譜代の、
この佐々成政の武力を見よ!
柴田勝家率いる北陸方面軍が越前から北陸を侵攻戦では、この軍団がズババッと突き進んでいる様子が分かります。
彼らによって形成された「北陸方面軍」は猛烈な突破力で、顕如率いる一向一揆を次々と撃破します。
そして、北陸を突き進んで行ったのでした。


しかし、手取川の戦いで上杉謙信に対して惨敗します。
いくら相手が謙信といっても、勝家らの能力と経験を考えると不自然なくらいです。
上杉謙信率いる上杉軍団が「強すぎた」とも言えるでしょう。


この時は、秀吉と勝家が喧嘩して、秀吉が軍隊を独断で勝手に引き上げます。



猿めが、私の命令に反して、勝手に軍を
引き上げただと!



ははー!
信長様、お許しを!



しばらく謹慎しておれ!



信長様は、
私を必要としているはず!
信長から怒りを買ったものの、格別なお咎めを受けていません。
突破力で突進を続け、上杉謙信亡き後、大きく弱体化した上杉家も追い詰めていった柴田勝家。
数々の猛将を率いた人物として上杉謙信・島津義弘らが挙げられますが、彼らは大名格です。


方面軍軍団長とは言え、織田家の一家臣の立場で佐々・前田・佐久間ほどの猛者たちを部下としてきちんと統率します。
それが出来たのは、勝家の高い力量を示します。



私こそが、
織田家筆頭なのだ!



猿だの、光秀だのは、
私の下なのだ!
後に秀吉に、打倒される柴田勝家。
これだけの武将を従え、自らの地盤とは全く関係のない国で、顕如率いる一向宗門徒相手に強力に勝ち進みます。


そして、大きな領土を支配した柴田勝家。
勝家は、卓抜した武力と統率力を併せ持つ「武の帝王」と呼べるでしょう。