薩摩の海から 2|戦国・幕末

前回は「薩摩の海から 1」の話でした。

鹿児島・桜島(新歴史紀行)

広い外洋へと続く、鹿児島の海。

西郷隆盛も大久保利通も、この海を見て、遠い異国を感じたのでしょう。

西郷 隆盛(国立国会図書館)

交通が発達した20世紀に入ると、海外は全然遠い世界ではなくなりました。

さらにインターネットが発達して「当たり前のツール」となった今、海外は間近に感じられます。

しかし、ネットなどで「写真や情報に触れるだけ」と、「現地に行ってみる」ことは全く違います。

現地に行けば、そこに住む人々の風土や食事などの習慣、あるいは匂いなど、実に様々なことに触れられます。

それは、とても貴重な体験です。

大久保 利通(国立国会図書館)

外国等、現地に行ければ最も良いのですが、そうできなければ、色々な情報に触れるのも楽しい。

「向こうはどんな雰囲気だろう?」と思いを馳せてみるのもまた、楽しいですし、いい経験になります。

戦国期には、現在の大阪である堺が南蛮、ヨーロッパとの交流の拠点・窓口となっていました。

そこでは、まさに様々な舶来品がやってきて、莫大な富をもたらしていました。

様々な物品が堺に運ばれてきましたが、やはり南蛮・中国から見て、「近い港」にものが集まります。

向こうから見て「近い」のは、なんと言っても九州。

九州のさまざまな港では、古来から中国とさまざまな交易をしてきました。

織田 信長(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

太平洋側に面していた先進的な尾張や伊勢などでは、戦国期から

海の向こうに
南蛮がある。

と考えていたかもしれません。

地球儀を理解した信長は、そういう視野を持っていたでしょう。

しかし、秀吉や家康などの武将には、あまりそういう痕跡はありません。

太平洋側の国々も、水運があるとはいえ、やはり国内側の美濃や近江との関係が多かったと考えられます。

鹿児島湾(新歴史紀行)

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