前回は「西郷隆盛 7〜島津斉彬の急死・井伊直弼大老・一橋派と南紀派〜」の話でした。

薩摩藩主・島津斉彬によって、人生が開かれた西郷。

島津斉彬あっての西郷であり、西郷にとっては上司・殿様を超えた「人生の師」という存在でした。
その斉彬のために、東奔西走した西郷。
斉彬が「5,000名の藩士を率いて上洛」の直前に急死するという事態に愕然とします。

生きる望みを
失った・・・



・・・・・



もう死にたい・・・
「生きる目的」をなくした西郷。
しかし、悲嘆に暮れている場合ではありませんでした。


水戸藩主・徳川斉昭らに謹慎・蟄居の命令を出した井伊大老。
ここで、さらに



反乱分子共を
一網打尽にする!
と決意をして、「一橋派」の大名、藩士たちの大弾圧に乗り出しました。
安政の大獄です。



不満分子共を
ひっ捕えてこい!
ははっ!


西郷と共に、「一橋慶喜を将軍に」と朝廷工作などを共にした橋本左内。


あるいは、当時「過激派の巣窟」だった長州藩の吉田松陰。
幕府から見て、吉田松陰の松下村塾は「過激派分子の養成所」と映ったのです。



橋本ら、反乱分子を
全員捕縛せよ!
そして、薩摩藩の外交官的役割で、様々な工作に当たっていた西郷もまた「捕縛対象」となりました。



うかうかしていると、
おいどんも捕まる・・・



薩摩へ逃げよう・・・
「斉彬派」の急先鋒だった西郷。
そして、斉彬死後、急速に保守的になった薩摩藩。
西郷の反対派が実権を握っていますが、



同じ薩摩藩士のおいどんを
薩摩が捕縛することはなか・・・
強烈な郷党意識が強かった薩摩藩。
西郷の思惑通り、「薩摩に逃げれば大丈夫」な状況でした。


関ヶ原の戦いにおいて、島津義弘が「敵中突破」をして以来、薩摩藩は「反徳川」が基本姿勢です。
薩摩の内情を
探れ!
江戸時代250年以上の長きに渡り、公権力を握った徳川幕府。
諸藩に密偵を放ち、情報を集めていました。
ところが、薩摩だけは特異であり、
薩摩に行った
密偵が戻ってこん・・・
薩摩弁が特殊であり、他国の人間がすぐにバレてしまい、処分されていたのでした。
「薩摩飛脚」と言われ、「薩摩に行ったら、戻ってこれない」のが「公然の事実」だったのです。





西郷さん、
悲観せずに生き延びましょう。
かねてから共に様々な工作をしてきた住職の月照。
住職とは思えぬほど、熱い心を持っていました。



月照どん・・・
かねてから、14歳年上の月照を尊敬すらしていた西郷。
ここで、月照が懇意にしていた近衛家から、
月照の身を
安全にしてもらいたい。
なんとか、薩摩藩の力で、
月照を助けてくれないか。
他ならぬ朝廷の有力者・近衛家からの依頼であり、尊敬していた月照を匿うことにします。



月照どん、
一緒に薩摩へゆきましょう!



有難う
御座います。



薩摩へ
ゆきましょう。


ここで、同じ憂国の士であった筑前福岡藩士の平野国臣も合流します。



私も
薩摩へお供します。



よし!
皆で薩摩へむかうごわす!



時間がないごわすから、
すぐ出立ごわす!
徳川の目が光る中、江戸を脱出して薩摩へ向かう西郷たちでした。