江戸を脱出して薩摩へ向かった西郷隆盛〜敵中突破の島津家・師匠・斉彬急死に「生きる目的」をなくした西郷・地獄「安政の大獄」の始まり・反乱分子の一網打尽を目論む井伊大老〜|西郷隆盛8・人物像・エピソード

前回は「目の前が真っ暗になった西郷隆盛〜島津斉彬の急死・強権を発揮した大老井伊直弼・将軍継嗣問題にピリオド・安政の大獄・逆ギレした井伊大老〜」の話でした。

薩摩藩士 西郷隆盛(国立国会図書館)
目次

師匠・斉彬急死に「生きる目的」をなくした西郷

第11代薩摩藩主 島津斉彬(国立国会図書館)

薩摩藩主・島津斉彬によって、人生が開かれた西郷。

西郷は
使えるな・・・

下級藩士出身の西郷吉之助(隆盛)を見出した島津斉彬。

おい、西郷、
ちょっとこちらへ・・・

はっ!
参ります!

西郷よ・・・
これはどう思う?

おいどんは
このように思うごわす!

島津斉彬あっての西郷であり、西郷にとっては上司・殿様を超えた「人生の師」という存在でした。

西郷!
大奥を一橋派にするために、篤姫を輿入れさせる!

ははっ!
お任せを!

その斉彬のために、東奔西走した西郷。

そして、いよいよ斉彬が「5,000名の薩摩藩士を率いて上洛」を決断しました。

薩摩藩兵5,000名を
引き連れてゆく!

我が薩摩の力を見せつけ、
幕府に圧力かけるごわすな!

5,000名の薩摩藩士を率いて、「上洛」というよりも「出陣」する覚悟であった斉彬と西郷。

ところが、張本人の島津斉彬が、練兵の視察中に急死しました。

この突然の「上司であり殿様であり師匠である」斉彬急死という事態に西郷は愕然とします。

生きる望みを
失った・・・

・・・・・

もう
死にたい・・・

「生きる目的」をなくした西郷。

地獄「安政の大獄」の始まり:反乱分子の一網打尽を目論む井伊大老

大老 井伊 直弼(Wikipedia)

ところが、西郷吉之助は悲嘆に暮れている場合ではありませんでした。

水戸藩主・徳川斉昭らに謹慎・蟄居の命令を出した井伊大老。

ここで、さらに

反乱分子共を
一網打尽にする!

と決意をして、「一橋派」の大名、藩士たちの大弾圧に乗り出しました。

反体制・井伊政権や志士にとって、地獄が始まりました。

当時の元号をとって名付けられた「安政の大獄」の開始です。

不満分子共を
ひっ捕えてこい!

ははっ!

幕府に楯突く連中は
全員逮捕します!

越前藩士 橋本左内(Wikipedia)

西郷と共に、「一橋慶喜を将軍に」と朝廷工作などを共にした橋本左内。

若い頃から極めて優れた頭脳で、その名は広く知れ渡っていました。

吉田 松陰(国立国会図書館)

あるいは、当時「過激派の巣窟」だった長州藩の吉田松陰。

「討幕派の長州藩士達育成所」であり、後には「長州出身者達の聖地」となった松下村塾。

幕府から見て、吉田松陰の松下村塾は「過激派分子の養成所」と映ったのです。

橋本ら、反乱分子を
全員捕縛せよ!

そして、薩摩藩の外交官的役割で、様々な工作に当たっていた西郷もまた「捕縛対象」となりました。

うかうかしていると、
おいどんも捕まる・・・

薩摩へ
逃げよう・・・

「斉彬派」の急先鋒だった西郷。

そして、斉彬死後、急速に保守的になった薩摩藩。

西郷の反対派が実権を握っていますが、

同じ薩摩藩士のおいどんを
薩摩が捕縛することはなか・・・

強烈な郷党意識が強かった薩摩藩。

西郷の思惑通り、「薩摩に逃げれば大丈夫」な状況でした。

江戸を脱出して薩摩へ向かった西郷隆盛:敵中突破の島津家

戦国大名 島津義弘(図説・戦国武将118 学研)

関ヶ原の戦いにおいて、島津義弘が「敵中突破」をして逃走に成功した薩摩。

それ以来、薩摩藩は「反徳川」が基本姿勢です。

薩摩の内情を
探れ!

江戸時代250年以上の長きに渡り、公権力を握った徳川幕府。

諸藩に密偵を放ち、情報を集めていました。

ところが、薩摩だけは特異であり、

薩摩に行った
密偵が戻ってこん・・・

なぜ、全員が
戻ってこないのだ・・・

薩摩弁が特殊であり、他国の人間がすぐにバレてしまい、処分されていたのでした。

「薩摩飛脚」と言われ、「薩摩に行ったら、戻ってこれない」のが「公然の事実」だったのです。

僧侶 月照(Wikipedia)

ここで登場するのが、バリバリの尊王攘夷派だった僧侶の月照です。

当時、大勢登場した尊王攘夷派の人物は多くは、諸藩の下級藩士でした。

つまり、武士が中心であった尊皇攘夷派の中でも「僧侶は異色」でした。

その「超異色な僧侶」であった月照が、悲嘆に暮れる西郷を慰めました。

西郷さん、
悲観せずに生き延びましょう・・・

かねてから共に様々な工作をしてきた住職の月照。

人生楽あれば
苦あり、デス・・・

住職とは思えぬほど、熱い心を持っていた月照ですが、こういう時は「僧侶の言葉」は響きます。

月照どん・・・

かねてから、14歳年上の月照を尊敬すらしていた西郷。

ここで、月照が懇意にしていた近衛家から、

月照の身を
安全にしてもらいたい・・・

なんとか、薩摩藩の力で、
月照を助けてくれないか・・・

他ならぬ朝廷の有力者・近衛家からの依頼であり、尊敬していた月照を匿うことにします。

月照どん、
一緒に薩摩へゆきましょう!

有難う
御座います・・・

薩摩へ
ゆきましょう・・・

筑前福岡藩士 平野国臣(Wikipedia)

ここで、同じ憂国の士であった筑前福岡藩士の平野国臣も合流します。

私も
薩摩へお供します・・・

よし!
皆で薩摩へむかうごわす!

時間がないごわすから、
すぐ出立ごわす!

徳川の目が光る中、江戸を脱出して薩摩へ向かう西郷たちでした。

新歴史紀行

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